Diary 2009. 12
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12月23日 (水)   休日返上の役員

 気がついてみると、紅梅園の師匠は私唯一人。 来年を待たず、今年のうちに教えて置くべき事は済ませないと、来年は私の寿命が有るか無いか、、。 
今日の祭日も、役員三人で剪定でしたが、私は肩が痛いやら、眠たいやら座りたいやら、、。 子供が駄々をこねるみたいに、自分自身に駄々こねながら、カメラマンしたり、反省して指揮棒を取ったり、やっと午後四時まで頑張りましたが食欲がありません。
『社長が食べたいものを食べに行こう』 と、後継者の孫が車に乗せましたが、あれかな? これが良いかな? と迷ったあげく、 『お好み焼を食べていない!』 『何?! お好み焼きが食べたいの?』 と、素っ頓狂な声で言う孫に連れられて、トッピングに 餅 チーズ 納豆など注文したものの、半分も食べ切れず ”お持ち帰り” にしましたが、何だか思い切り我が侭ほうだいしたようで、超安上がりで落ち着きました。 これが ”ストレス” と言うのかな?、、。
今日の梅は、私の相棒になったり、同士になったり、兄になってくれたりした、一番逞しく 頼もしかった梅ですが、さすがに老いました。 ずっと以前、根っこに ”ホラアナ” が出来ていましたが、左の写真のように、ホラアナの奥に新根が伸びて、大きくなりつつあります。 私の1リットル入りの ポット が立て掛けてありますが、本当に頼もしい 梅園のリーダー格です。 

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12月22日 (火)   臥竜梅になるまでの過程

 今日剪定した梅の中に、台風や病気で裂けたのとは少し違う 梅がありました。 同じように根っこの所からねじれたり割れたりして、四方に這いつくばうように倒れているのですが、剪定を済ませて少し高い所から見ると、数十年経つ頃は、臥竜梅の様相に見えそうです。
左は北側から姿、 真ん中は南側から写したもの、右の写真は全体像ですが、這いつくばいながら しっかりしています。
長生きして、十年 二十年先の姿を見たいな! と思います。

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12月21日 (月)   寒風の梅園は 道場 

 急に寒くなって 梅園は昨日今日、深々と寒いでした。 肩や腕や手首は痛くなるし、『年寄りは一時間置きにお茶にするね』 と一人お茶のところに来たものの、寒さは寒し、お茶よりも仕事をしていた方が、楽のようでした。  『四時半になつたら事務所に帰って、ご注文下さったお客様に手紙書いて、発送して、次はお風呂!、、』 と、暖かいお風呂を思ひ描いて頑張りました。 年取ると、、自分で自分がいじらしくなるほど、素直な子供みたいになるようです。 
今日の梅の樹は、胴体(主幹)が腐って倒れていながら、朽ち残った樹皮の部分に栄養が通い始めたのか、前よりもしっかりしてきた梅です。 倒れてから出た徒長枝が、主幹として成長し始めたため、大地に根を張り、大地から吸収した栄養を、朽ち掛けた樹皮を通って吸収しているためだろうと思います。 昨年十二月三日の「紅梅園たより」の写真の主。 左の写真は、残雪を見せながら、「霧島下ろし」 の寒風の主高千穂の峰。 真ん中の写真は横から、右の写真は朽ちた根の方から、もう大丈夫に甦った、再生の梅の老樹です。 
”生き残り 傘寿の冬の 茜空” 太平洋戦争で生き残り、傘寿の同窓会でも生き残っており、生まれつきの虚弱だつた自分がここまで生き残り、特攻隊の機影が消えた残照の茜空に、感無量の涙でした。   

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12月17日 (木)   梅の 生命力と知恵

 今年の夏、梅の大樹が三方に裂けており、裂けて地中の根を絶たれた方の幹から、小さなひげ根が三十cm位下の大地を目指して伸び始めているのを見つけ、びっくりしました。
地中に埋まった幹から出たり、大地から近い幹から伸びるのも、以前別の梅で見た事があります。 しかし、三十cmも上から下の大地を目指して、乾いた空気の中を伸びるなんて、どうなる事かと思っていました。
あれから半年過ぎて、あの白っぽい小さなヒゲ根は、色黒々と逞しく硬くなって、しっかりと大地の中に潜り込んでいました。
左の写真は、その根を手前から写しました。 真ん中の写真は、二本の根が栄養を送り込み始めたと見え、根の付け根の所の幹が、しっかりと、ふくらみ初めています。 右の写真は全体像で、右の方に裂けた幹は二つに裂けて、一本はベタッ! と大地に横たわった先から、太い幹が立ち上がっています。 ひげ根は、裂けた左側の立っている幹の、避けた傷口から下の大地を目指して伸びているのです。 植物も、人間と同様、、それ以上に確かな知恵と、無心な ひた向きな生命力を持っているようです。 恐れ入りました。

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12月13日 (日)   お客様に対する 責任

 今日は日曜日、剪定作業へ行く予定でしたが疲れが出て中止、事務処理のため事務所に出たところ 『速達です』 と、いきなり郵便やさん。
びっくりして封を切ると、女学校時代の後輩でお客様の 宇部市の新川さんから、、。 
、、『傘寿の方が梅の剪定をなさっていらっしゃるご様子びっくりしました。安全な食生活の賜物ではないでしょうか。どうぞ無理をなさいませんように、、。 『、、一本の梅の樹は 一人の社員ではないでしょうか。、、貴方様のようなお考えの農家様や加工業者の方々がたくさんいらっしゃいましたら、今の世の中のように二人に一人は 「癌」 という世にはならなかつたのでは、、。本当に世の中の人々の健康を考えてくださっている第一人者でいらっしゃる事を尊敬申し上げ、都高女の先輩でいらっしゃる事を、誇りに思っております。、、』
読み進むうちに、自分の責任の重さを痛感し、外に出て屋敷内を見て回りました。 
昔、昭和三十八年、ここを終の棲家と決めた年、最初の梅の苗木と一緒に買って来た ”山茶花”。 他の山茶花は先だっての霜でヨレヨレになつたのに、この山茶花は左の写真ですが、しっかりと際立って元気です。 又、その頃植えた梅の花木は、(真ん中の写真)ですが、ボロボロに老いているのに、しっかりと花芽をつけており、写真右は、その頃父を真似て、欅と山紅葉の盆栽を作っていましたが、大変な苦難の日々、軒下に置いたままでした。 同じ軒下で盆栽は、素焼きの鉢を割り、写真のように、逞しい根っこを軒下の外に伸ばして、元気に逞しく生きていました。 ”傘寿” と聞いて、今更ながら自分の年に責任を感じます。 

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12月12日 (土)   つるし柿と 浦島太郎

 今年は 実の成る木は、何もかも豊作です。
私は柿が大好きで 「耳たぶと代えても良い」 と何時も言うほど好きです。 中でもつるし柿が大好きで、写真右の柿は 「チジョ」 と云うこの地方の在来種で、子供の頃どこにでもあつたのですが、大人になって何処にも見当たりませんでした。 ところが、梅畑に行く途中の城山の下の、小柄な老夫婦の庭先に、このチジョ柿があり、大切にしていらっしゃるものと思って遠慮していましたが、ある日勇気をだして柿の穂木を一本、椿油と交換して頂き、田主丸の専門に接木を依頼しました。今五本植えておりますが、今年はどの木もすずなりです。
あの穂木を下さった老夫婦はずっと前に他界され、今、同じ家にご子息でしょうか、そっくりのご老人を庭先にお見かけしますが、何だか自分が ”浦島太郎” になつたような、変な気分になることがあります。 傘寿とは、そういう年なのでしょうか。
左はすずなりのチジョ柿。 真ん中は 柚子。 右も ”チジョ” で、木のテッペンまですずなりです。

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12月11日 (金)   巨大ドンコと 狸

 雨が近い! と、梅の剪定に精出して 二日間の雨になりました。
そして今日、裏山の椎茸のところに行って見ると、”ドンコ”がびっくりするほど巨大化、直径二十cm余り。 二日間の雨で、あんなに大きくなろうとは 思ってもみませんでした。 写真左ですが、一部の ”ドンコ” を庭のテーブルに干してみましたが、手前の大きな椎茸のすぐ右向こうにある小さいのが、大き目の普通の ”ドンコ” なのです。 バター焼と、椿油で炒めましたら、これまた とっても美味しいでした。
椎茸原木を並べた裏山から、池を掘った下の狭間田をはさんで向こうの山に、狸が日向ぼっこをしていました。何時の間にか巣穴を作り、穴の入口に寝そべってこちらを見ています。 ”まっ!” と思いざま、 ”コラッ!” と叫んだら、 ”チラ” とこっちを見て、右の写真のように、改めて顔を体の下に埋めて、寝てしまいました。 『これが ”狸寝入り” か』 と腹が立ち、もう一度 ”コラーッ!!” と大声で叫びましたが、直線では二十mあるかないか、狸の表情が見える距離なのに、 ”しれーっ” として寝たふりです。 本気で追い出してやろうと思いました。 狸が増えて、雉や小雀鶏が卵を食われ、この里山から離れていったのです。

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12月8日 (火)   昔 今日の日は針供養

 昔 私が女学校一年生の昭和十七年十二月八日は、針供養の日でした。
講堂に祭壇が設けられ、お豆腐に折れたり、錆びたりした縫い針や、待ち針を刺して、針に対して感謝とお供養をしました。 四年生の先輩が壇上に上がって 『水仙の ほのかに匂う床の間に 飾れる今日の 針供養かな』 朗々と読み上げられたあの声、針供養の最後になりました。 又、毎朝 勉強の始めに、黙祷して 「目に見えぬ 神の心に通うこそ 人の心の 誠なりけり」 と唱え、自分を反省し 心を取り直して勉強に向かっていました。 小学生の昼は、お弁当を前に、 「箸取らば 天地(アメツチ)御代の恩恵(オンメグミ) 父と母との ご恩味わえ」 と、合掌してから 『頂きます』 と箸を取っていました。 今思い出すたびに、激しい時代ではありましたが、 心の時代でもあったように思います。 私の場合 感謝は、自分の為にあり、『有り難う御座います』 との感謝が、心にチラチラしていると、むかつく事など全くありません。

明日から二日ほど雨 との予報に、今日は一生懸命頑張りました。 『雨だったら明日、ゆっくり休めば良い。今日のうちに明日の分まで、、』 と、”無言の行? 業”でした。
今日剪定した梅の中に、半身不随? になって横に、、土の上に寝てしまった梅がありますので、ご紹介します。 樹の半分が枯れると、枯れた半分の地中の根も朽ちてしまうので、バランスを失ったのです。 『無理して立ってなくても良い』 と言い聞かせ、寝たままの姿に剪定しました。 左の写真は、ひっくり返った根元に、穴が開いていますが、きれいに土で満たしてやるのです。 真ん中と右の写真は、前からと後からの写真です。

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12月2日 (水)   生きるために生まれた命

 予定計画に遅れまいと、毎日一生懸命梅の剪定作業をしていますが、この頃 『自殺』 に関する報道が、疲れた身にこたえます。
私達の時代は、生きたくても生きられなかった時代でした。 戦場で、戦火で亡くなられた方々に対して、運よく生き延びられた私は、長い間心のどこかで申し訳なく思い続けてきました。 
私は、命を掛けるならば、この世で出来ない事はないとさえ思っています。 自分で命を絶つなんて、勿体なくて仕方がありません。 何とか出来ないものかと、もどかしくてたまりません。
私の育てた梅達も、裂かれても、病原菌にやられても、たった一つの命、一度きりのチャンス、ひたすら生きる事への執念というか、ひたむきな姿が愛おしくてたまりません。 
左の写真の梅の姿は、手前半分はずっと前、裂かれて朽ちてしまったのです。 真ん中の写真で解るように、朽ちてなくなった後の空洞を、新しい根が包むように太りながら、再生しています。

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