Diary 2006. 4
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4月27日 (木)   梅の収穫まで 後1ヶ月をきりました

 雨上がりを待って、今日から梅園の草刈を始めました。 刈り取った草は、そのまま梅園の敷き草になり、やがて土に返って梅の有機肥料の一部になります。 梅の根まわりは、背負いの草刈り機で刈りますが、5ヘクタールの梅園の草を刈るのは、大変な労働作業です。 しかし、除草剤を散布しない限り、取り組むしかありません。
体力のない者が『モア』という草刈機を使い、体力の或る人が、背負いの草刈機を使って刈進みます。
作業は大変ですが、みずみずしい若草の香りと、山を降りてくる風の中で、雉と出会ったりしながら、それなりに、幸せで頑張っております。
左の写真は『モア』という草刈機で広い場所をかります。 この梅園は10年生の若い梅で、3段の段々畑で1・4ヘクタール。梅の実は、山の澄んだきれいな環境の中で、日に日に大きくなっていきますが、この写真の梅は、一番若くて一番早く熟す、中くらいの梅です。

 

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4月23日 (日)   少しでも 環境を護りたい

 梅干の 店頭販売の包装について、昨日一日話し合って、結論は出せなかった、、、。
皆は、買う側の立場に立って、『パックしてプラスチック容器に詰める』を提案する。 私は 梅干側に立って、『パックして、紙箱入り』が良いと思う。 理由は、環境汚染の見地から、プラスチックを、出来るだけ減らしたい。プラスチックは素材が『石油』で 紙は『木材』だから、土に還る、、分解する。 原油不足と云いながら、何も変わらない、食べ物だから、中身が確かめられて、清潔な包装であれば良いと思う。見た目のためにコストをかけたり、環境汚染に直結するような事は、避けたたいのです。
今まで無農薬で、有機肥料で、無添加でとこだわって、苦しい経営で長年頑張ってきたのに、ここにきて、不本意な販売方法はしたくない、、、。
でも、若梅たちが実を付け出して、販路開拓も考えるところに来ているし、、。 
昨夜は、殆ど眠れませんでした。 環境汚染問題は『元を断たないとどうしょうもない』ところまできているのに、もどかしい思いです。
左は、日に日に大きくなっていく梅の実。 裏山の木の幹にへばりついて、涼しく咲いた『たけらん』と、カタバミの一種で、名も知らない、きれいな花が咲いていました。

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4月21日 (金)   春の嵐に 落とされた梅

 春雨の病気で、若芽や実が落ちて枯れ枝のようになっていた枝に、再び若芽が膨らみ始めて、『助かった!』と、ほっとしたとたん、今度は晩霜で野菜がやられました。
そして今日、一昨日、春の嵐が凄かったので、心配で梅園に行ってみたら、育ち始めたばかりの梅の実が、梅の下の凹みに、いっぱい落ちていました。 何も云えず、黙ってデジカメに収めて帰ってきました。 
家に帰り庭に回ると、梅園の山グミは全部終わっていたのに、人間が、人間用に改良した『びっくりグミ』は、今花盛りでした。 黄楊(ツゲ)の木の下では、『黄えびね』も花盛りで、『十二ひとえ』の紫の穂花や、『都忘れ』の紫や桃花、すっくと伸びて咲いた濃い紫の『あやめ』に、白いコデマリ等、庭は目の届く限り花、花、花で、なにやらほっとして心を正し、出勤しました。
左は落ちた梅。  真ん中は、屋敷の裏山やあちこちに、今を盛りのエビネ蘭です。  左の写真は、今花盛りの『びっくりグミ』ですが、1ヶ月もすると、真っ赤に熟れて、とても美味しくなります。

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4月18日 (火)   防風垣に イチイ樫と山茶花を

 『まさか!』の、一昨夜の晩霜に、カボチャも、沖縄レイシイも、ワラビも全部やられて、今日は、夏の台風に対処するため、どんぐりの仲間のイチイ樫の苗と、山茶花の苗を、梅園の周囲に植え足していきました。 イチイ樫は、固い木で、山茶花も簡単には裂けたりしません。その上、実は、藪椿以上に、良い油が絞れます。しかし、収穫量は、藪椿にはかないませんが、台風対策です。
人間の限りのない欲望に、天候異変は、しっかり居座ってきたようです。 『地球温暖化』は、潮の流れを変え、潮の流れが変わると、異常気象が恒常化するだろうと、平成5年、中嶋常允先生に教わりました。 あれから、出来る事から自然を昔に返そうと、『どんぐり千年の森』活動に参加したり、自然界の物は、燃やさないで、土に返す工夫と努力をしてきましたが、残念です。 解けていく永久凍土で生活している人達は、どうなるのでしょう。 沈んでいく南の島の住人は、どうなるのでしょう。 溜息がでます。
考えながら、思わず山グミの実をちぎって口に入れたら、真っ赤な山グミは、渋みもすっかり消え、かすかに甘い、懐かしい味でしたが、大きな種に、薄い果肉は、果肉と云うより種の皮みたいだったので、グミに、『美味しそうに見せて、果肉はチョッピリ。詐欺ではないの?!』と云ったら、『それは、人間の世界でしょ。私達は生き残るために、美味しそうに熟れて小鳥を呼び、しっかりした種を運んでもらうのよ。 馬鹿な人間と、一緒にしないで!』と、云われたようでした。
写真は、まさかの晩霜に打たれて、駄目になった『ワラビ』と『カボチャ』に『沖縄レイシイ』。 植え替えないと、もう駄目です。

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4月17日 (月)   病気から 立ち直り始めた梅

 今日は、私が11歳の時急逝した父の66年忌。 寺に行き供養を済ませた後、梅園のほうに回ってみたら、病気にやられて、新芽も梅の幼果も落とされた梅の枝が、健気に立ち直り始めていました。 
枯れたようになっていた小枝から、小さな芽がふくらみ初め、新芽が展葉し始めているところもあり、『頑張って!、有難う、ごめんね』 等と、見て回りました。 この気持ちは、梅と一緒に、一心同体で、40年以上も生きてきた私以外の人には、理解できないだろうと思います。 治療もしてやらないで、唯『頑張って!』と、子供の病気を見守っているような気持ちです。 来年は、『梅肉エキス』を薄めて散布したら効くかも知れない、、と、考えたりもしました。 
しかし、梅は 『私(梅)を、人間の尺度で測ってどうするの?。ほっときなさい。』と、云っているようです。
左の写真は、部分的に病気にかかった枝。 真ん中は、『枯れたかな?』と思っていたのに、病原菌を克服して、又、新芽がふくらみ初め、一部では若葉も開き始めた枝。 右は、元気な枝です。

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4月16日 (日)   突然 ワラビがわいて来たように

 昨日の午後、何の気なしに梅園を見ていたら、わいて来たように一面のワラビです。 大慌てに摘み取って、梅の木の灰でアク抜きして、今年の初物をお客様へ送り出しました。
私は、昭和43年から、霧島山麓で牛の肥育牧場を経営しながら梅園を支え、48年に牧場を売却して、梅園に帰ってきました。
その時、牧場での思い出と、都城でも殆ど見なくなったワラビの種を残したいと思い、牧場のワラビの根を持ち帰り、梅園のあちこちに植えて置きました。
そのワラビが、忘れた頃あちこちに群生をつくりました。 時折、通りかかった人が、『ワラビは自然のものだから』と、云わんばかりに、梅園に入ってワラビを摘むので、『このワラビは栽培です』『立入り禁止』と、看板を立てました。 周辺の人には気の毒ですが、コンクリートの都会の方々に、『春と故郷』の香りをお届けしたいのです。 昨年も、多くのお客様から懐かしがられて、お便りを戴きました。 
左の写真は、梅園のワラビですが、このまま伸びて葉になります。 真ん中は、大地から生まれて伸び始めたばかりのワラビで、この若葉を『アク抜き』して食べるのです。  
右の写真は『雲水』と名づけた梅で、『鶯宿梅』と一緒に、たった1本だけ、名前も分らず、『鶯宿梅』のピンクの花の中に、真っ白な花を咲かせ、どんな年でも、毎年実をつけてくれます。今年も、すぐ隣の梅は『灰色カビ病』で、実も葉も落ちていますが、この梅は、しっかりと元気です。
『雲水』と云う名前の由来は、『たった一本何処から来たのか』、、。ただ飄々と何のこだわりもなく、毎年、どんな気象条件であろうと変わりなく実をつける、、。大木になるでもなく、枯れる様子もなく、台風にもやられず、、。沖縄の旅のご縁で、私の好きな『雲水』と名づけました。 

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4月15日 (土)   新社員とダブル 小学1年生

 新入社員が入社して2週間目、昨日は2人とも『新入社員セミナー』に、参加して来ました。 提出された、2人の報告書を読みながら、その新鮮な感想、『今後はプロ意識を持って、しっかり頑張ります』。『会社の一人として、プロ意識を持って働けるように、自覚しながら努力したい』等、ワープロではなく、自筆で書かれた報告書に、胸が熱くなりました。 この社員達のためにも、『私は、もう78歳だから、、』等と、甘えたことは言っておれないと、腹の据わる思いと共に、もう70年近くの昔、小学4年生の時、近所の1年生を預かって、田舎の約2キロの通学路を、手を引いたり、負んぶしたり、、。なぜか真新しい教科書の香りも重なって、思い出しました。
遠い昔です。本当に質素で暖かい、ぬくもりに包まれた、茅葺屋根の多い故郷でした。
そういえば今頃、山グミが熟れる頃だったと思い出し、雨の中を梅園へ行って見たら、色づき始めていました。 天気が良くなる頃は、きっと熟れると思います。 山グミを見たとたん『正和ちゃん!』と、べた足のその子の名前まで思い出し、『まだ、マダラボケ?の段階かな』と、何やら嬉しい事の重なる日になりました。
今日やっと晴れて、山グミは真っ赤に熟れていました。 一個食べてみようかと思いましたが、何だか惜しくて、小鳥に残してきましたが、すぐ近くに、小梅がグミと兄弟のような大きさに育っていました。

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4月12日 (水)   梅園の周辺や裏山は 落ち椿

 曇りや雨の多いこの頃、紅梅園の周辺や裏山は、落ち椿で足の踏み場はないほどです。 昔は、どの家でも自給自足で、屋敷の中には梅の木が2〜3本と、椿の木が4〜5本は植えてあり、椿の油は梅干し同様、健康上の食用油や、傷薬や皮膚病、髪油等に欠かせない、とても重宝な物でしたが、里山の消滅と同時に、椿や梅の木も殆ど見なくなりました。
祖先代々からその屋敷の家族や、時代の流れを見守ってきた屋敷の時代を偲ばせる大木は、経済成長の頃、庭園の庭木や盆栽の材料として、都会や町に売られて、『あの人の屋敷には、大きな椿の木があったから・・』等と、集落の至るところで目印になっていたのに、何時の間にか、家の建て替えや日当たりの関係か、消えて行ったのです。
 私は、椿油の重宝さも知っておりましたので、梅を植えながら椿の木も、防風や外部からの農薬被害を避けるために植え、梅園の周りや裏山など、数え切れないほどの椿の木があり、次々と自生の椿の苗も増えております。
 近頃は椿の実まで輸入するそうですが、紅梅園では、自分の土地の椿の実から絞った椿油だけを、皆様にお届けしております。 
写真は、梅園の空いたところに咲いた椿。 真ん中は、日当たりの良い椿で、毎朝ヒヨドリや小鳥が、時間帯を分けて、蜜食べにきます。 移植してもう、40年以上経ちます。

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4月8日 (土)   無農薬栽培の辛さ

 4月も1週間たち、春先の雨を『芽だし雨』とも云いますが、梅はこの雨に『灰色かび病』が発生して、困ります。 何回も云うようですが、台風で葉を吹き千切られて、昨年充分な栄養、体力をつけられなかった梅は、『自己防御力』が弱く、このカビ病にやられて、実を落としたり、葉の発育が遅れたり、若葉が腐ったりします。 
紅梅園では『無農薬栽培』なので、病気にかかる梅に対して『農薬を散布してやれずごめんなさい』と、見守ってやるだけです
普通栽培では、この時期に、何回か農薬散布をするので、収穫量も多いのですが、紅梅園では、一切農薬を散布しませんので、収穫量も普通栽培の半分以下しかありません。 しかし、生き残った梅は、精一杯の成分(ミネラルやビタミン)を持って、私達に貢献してくれます。
この時期、私は毎年つらいような、複雑な心境で、梅を見廻ります。 『農薬散布...、梅にとっては病気を治す薬で、私達人間にとっては、農薬は毒です』。
梅に対して、『自然の摂理に沿って、お互いに生きていこうよね。農薬なんて、昔はなかったのだからね』???...。 『人間の身勝手な言い訳かな??』と、毎年考えることですが、病気にやられる梅に、『ごめんね』と、何時ものことながら、謝るしかない日々です。
左の写真は元気な梅の枝で、順調に実も太りはじめましたが、真ん中の写真は、『灰色カビ病』にやられて、一部の枝の若芽も、梅の実も落ちています。右は3月29日の同じ小枝の梅で、だいぶ大きくなってきました。

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4月1日 (土)   梅の実が着いている枝、全部落ちた枝

 4月になり、しっかり実を残している枝と、殆ど全部実を落とした枝と分かれてきました。 今から又、『生理落果』もありますので、決まったわけではありませんが、体力のない梅は、霜に全部落ちてしまつたのです。 昨年の台風で、殆どの葉を吹き千切られ、基礎体力が弱く、『自己防御力』が発揮出来なかったのでしょう。
今年は、ゆっくり休んで体力を回復して、来年は頑張ると思います。

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