Diary 2006. 3
メニューに戻る
3月29日 (水)   生き残れる梅は 何個?

 昨夜、霜注意報がでて一夜明け、朝日が射してきました。 朝風呂の中からふと眺めた裏山の藪椿が、鮮明な紅色に咲き誇っていたのに、霜に打たれて変色していました。
出社するとき、梅園の中を通り抜けていきますが、梅達をまともに見ることが出来ず、昼過ぎ覚悟を決めて、デジカメに記録として撮ったところ、21日の同じ小枝の梅は霜に、間引きされ、朝日の射さない陰の枝(左の写真)には、まだ『がく』に包まれた梅も残っていました。4月の下旬になると霜も終わり、大体残るものが決まります。 そして又、5月の上旬にもう一度、今度は梅の木自身が、自分の体力に添って実の量を決め、余分な実は振り落とします。 いわゆる『生理落果』です。
せめて『生理落果』後も多くの実が生き残れるよう、毎日堆肥を散布したり、草刈など一生懸命手入れの毎日です。

20060329-1.jpg 20060329-2.jpg 20060329-3.jpg



3月25日 (土)   梅の実が飛び出しました

 梅の実が、『がく』を脱ぎ捨て、産毛を陽に輝かせて飛び出しました。 今朝、こちらは久しぶりに気温が下がり、昨夜霜注意報がでて、心配しましたが大丈夫のようです。後半月、「神様、霜が降りませんように」と、何時も心に念じながら、晩霜の季節がすぎるのを待ちます。 左は産毛に包まれ、飛び出したばかりの梅の子。 真ん中は子育てのために、若葉も展開し始めた梅。 左は、実生の藪椿で、今年初めて花をつけたのですが、又、違った品種が出来たのかもしれません。花の中で地蜂が花粉を食べていました。

20060325-1.jpg 20060325-2.jpg 20060325-3.jpg



3月21日 (火)   お彼岸の中日

 今で言う『春分の日』を、私達は『お彼岸の中日』と云います。 『暑さ寒さも彼岸まで』と言って、夏野菜の種まきや、春の苗木を植えますが、梅の実も、『がく』が剥がれ落ちて、産毛に包まれた梅の実が飛び出してきます。
この時期に霜が降りたら大変です。 朝、夜明けの霜に凍っているところに、朝日の直射が当たれば、火傷したかたちで、梅の実は霜が解けるのと一緒にしなびて、落ちてしまいます。
大きい幹の陰や、何かの陰になって、朝日の直射を浴びることなく、朝の気温の上昇と一緒に、自然に霜が解けてくれた梅の実は、助かるのです。私が若く元気な頃は、夜明けに煙を立てたり、梅の間に常緑樹を植えて、朝日の直射を遮ってやる工夫をしたり、てんやわんや、やって見ましたが、大した効果もなく、くたびれもうけでした。それよりも、梅の木を、元気に強く育てることだと考え、一生懸命考え、対策を立て、色々やってみて解ったことが、梅も元気にしっかり育つと、『自己防御力』を発揮するということでした。
作業員が怠けたり、作業の手を抜いたり、いい加減な作業をすると、良くも悪くも、しっかりと結果がでるのです。 作物は『主の足跡の数だけ、実る』と、昔、女学生の頃、農家の作業動員で行った篤農家のおじいさんから、教わりました。
全くその通りで、作物は決して裏切りません。 天候や自然災害は仕方ありませんが、作物は自分の意思では、人を裏切りませんので、私は百姓になったことを、本当に感謝です。
写真の左は13日頃の梅の実で、真ん中は、今日の梅の実で、飛びでしてきました。藪椿は盛りを過ぎて、庭の『岩根絞り』が真っ盛りです。  

20060321-1.jpg 20060321-2.jpg 20060321-3.jpg



3月19日 (日)   どんぐり千年の森 10号地植樹の日

 今日は、『どんぐり千年の森作り10号地』の植樹の日。昨日、現場の下見もすませ、事務員の娘の2歳のキラリちゃんと、4歳のララちゃんを連れて、植樹祭に行こうと楽しみにしていたのに、連日の堆肥散布の応援等ですっかり参ってしまい、朝起きがつらく、ベッドでもそもそしていたら、『社長!、今年の参加は中止しましょうか。道が狭くて駐車場から現場まで、キラリを抱っこでは、とても無理ですが..』と、事務の彼女から電話。
ちょっと残念な気もしましたが『助かった!』とほっとしました。 年には勝てない?。
思う存分朝寝して、午後、久しぶりに家の周りを歩いたら、もう40年も昔、梅の間作に植えた覚えのある『からし菜』が、まだ元気で生き残っていました。梅は老木になったのに、からし菜は、毎年種で生き残り、もうすぐ花が咲くばかり。その近くには、これも昔々、何処からか飛んできた紫菜花が、きれいに咲き誇り、白もくれんの花は散り始め、紫もくれんが、花盛りでした。

20060319-1.jpg 20060319-2.jpg 20060319-3.jpg



3月13日 (月)   伸び始めた、白い梅の新根

 1月の下旬から、梅の新根は動き出すといわれています。茶色の梅の毛根の先から、白い新しい根が顔を出して、あたりの様子を伺うかのように、少しづつ伸び始めます。 何時もの年は、収穫が終わった6月下旬から7月に、お礼の堆肥を散布しますが、昨年、その肥料を充分吸収しないうちに、殆どの葉っぱを台風に吹きちぎられ、今年の様子を見ていると、梅に逞しさが足りません。
助けてやりたいので、臨時の堆肥を散布して、梅の実が肥大する時期に間に合うようにと、急いで作業を始めます。 科学肥料の10倍を越す量です。 堆肥には、肥料成分は少ないですが、微生物を増やし、通気性や保湿性を高めて、梅の根の環境を整えてくれるので、梅の根が安らぎます。そして、新根がのびのびと四方八方に根を張っていきます。 先ず、私達が梅に力をかして、梅に助けてもらいます。
鶯宿梅の老木園だけで、1.150袋の堆肥を散布します。 写真は200袋、約70本の梅に散布しています。 又、工場の周辺は、梅の実が『がく』から飛び出して、葉の芽も伸び始めました。
 

20060313-1.jpg 20060313-2.jpg 20060313-3.jpg



3月12日 (日)   2年続きの台風に傷められた梅

 今年最後の寒と云うことで、台風に倒され、2年も続けて傷められた梅の着果状態を、写真に記録してきました。
今日のところ、確実に実を付けています。 この鶯宿梅の生命力と、土との助け合いには、ほのぼのと暖かい、自然界の慈悲をかんじます。

20060312-1.jpg 20060312-2.jpg 20060312-3.jpg



3月11日 (土)   朝霧の梅園

 明日から又、雨と寒のもどりと聞き、朝8時梅園に梅の子供達の様子を、見に行きました。深い霧の中、先ず何とも言えない賑やかな小鳥達の鳴き声です。 霧の中から、うぐひすをはじめ、名も知らない小鳥達の、それはそれは賑やかな、平和な別世界の朝です。
今の時点で、凄い寒波がくると、『がく』と『おしべ』に包まれている、生まれたばかりの弱い梅の子供は、朝日に霜が解けた後、ポロリと落ちてしまいます。『一度きりの人生?梅生?』だから頑張って!と、見回っているうちに、何時の間にか霧が晴れ、小鳥達の声も消え、何時もの梅園に返っていました。
写真左は、生まれたばかりの『がく』に守られた梅の実。 霧にしっとりと濡れた梅の古木の根っこに、薄いピンクの梅の花びらを乗せて、サルノコシカケ。 左は、梅園の花畑の主。日当たりの良い朝の光の中で、小さな花なのに綺麗でした。

20060311-1.jpg 20060311-2.jpg 20060311-3.jpg



3月8日 (水)   たった一つの命の重さ 一度きりの人生

 久しぶりの晴れ間を惜しんで、今日は全員で梅園の見落としの剪定に行きましたが、陽だまりの山桜の蕾が目に付きました。まだまだ固い蕾でしたが、心に留まったとたん、涙がこぼれて来ました。 昭和20年4月6日桜満開の頃、都城から最初の特別攻撃隊、いわゆる特攻機が出撃して、その後、何回か続きましたが、私は15歳で見送っていました。みなさん殆ど18歳19歳だったと思います。
あれから60年以上経つのに、夜明け前の飛行場に轟音が響き、動き出した特攻機と挙手の特攻隊員と白いマフラー...、やがて西南の空に小さくなって消えていった機影は、今でもはっきりと脳裏に焼きついています。『後を頼む』との以心伝心は、しっかりと受け止めていたようです。
今でも歴史の流れの中で、その時、その時代によって、本人の意思に関係なくいろいろの事があります。しかし、この地球上に住む限り、地球上の生物は、人間も動物植物みんな共存していくしかない事、支えあい助け合って生きていくしかない事を、早く悟るべきだと思います。
私は毎日、仏壇にお茶を上げ、『有難う御座います』と、手を合わせ、森羅万象に感謝し、特攻隊員の方にも、『大丈夫、2度と戦争はしません。争いはしません。』と、祈りますが、時々、『火の粉が降りかかって来た時はどうなるのだろう』と、子孫の事を心配します。
そして又、温暖化で北極の永久凍土の大地が泥沼となって、生活の場所が無くなる人達、水位が上がって住む場所がなくなる南方の島の人達、誰が助けるのでしょう。誰の責任でしょう。 人間の我欲の大きな流れのような、渦のような得体の知れない不安にかられます。
久しぶりのお天気なのに、なかなか涙が引っ込みません。心が沈んで溜息ばかりです。裏山の椿と、梅の下の黄水仙と、梅園の下草を写してきました。 下草の小さな白い花はハコベ、水色の小さな花は、イヌフグリの花です。 みんな一生懸命咲いてます。 元気を出しましょう。泣きたいだけ泣いて、夕食の支度をします。

20060308-1.jpg 20060308-2.jpg 20060308-3.jpg



3月4日 (土)   昨日のつくしは 今朝の大霜でグンニャリ

 お客様から、『ほんの少しでも良いからツクシがほしい』とのお電話で、どこを探しても今年は見つからないので友人にも頼んでいたところ、昨日友人から『又、ツクシが出ているよ』との連絡で早速摘んで帰ったのですが、今朝友人から『残っていた短いツクシは、今朝の霜で全部グンニャリと霜に全滅した』との電話。
白もくれんも、今朝、霜に打たれて茶色になってしまいました。この気温の乱高下は、何とも残念です。
左の写真は、昨日摘み取る前にカメラに収めたツクシですが、今は田舎でも本当に少なくなりました。 次の写真は梅園の中の『イヌフグリ』アップです。 陽がいっぱい当たるとパッと開き、陽がかげると萎みます。 群生は水色の花がなんとも愛らしくきれいですが、梅園以外の畑では、根を、地上部よりも広く深く張って、とても大変やっかいな雑草なのです。 玉ねぎの中に、油断すると根を張っていて、草取りすると玉ねぎも一緒に抜かれて、とても大変です。 今、紅梅園以外の畑では殆ど見られません。 裏山には又違った花の藪椿の花が見つかりました。藪椿も、花の形、実の形いろいろ微妙に違います。人工の挿し木苗と違い、それぞれ落ちた実生から大きくなった椿ですから、面白いです。

20060304-1.jpg 20060304-2.jpg 20060304-3.jpg



3月2日 (木)   気温の乱高下は 人間のせいでは?

 2月下旬の異常な暖かさで、植物達はあわてて先へ急いだり、今日は急に寒くなってどうしてやったら良いのか解りません。 通常梅は、三寒四温の中で温度を貯めこんだ順番に、穏やかに咲きはじめ、咲いた順番に、こぼれるように静かに散っていきます。しかし、今度の冬は何時までも暖かく、寒くなったと思ったら、ビックリするほど気温が下って、2度も初めての大雪が降ったり、又、異常な暖かさがに見舞われ、今後、梅の実が育ち始め、『がく』からはみ出してから強い霜が降りると、梅の実は霜に打たれて落ちてしまうのです。『神の試練と思って頑張ろう』と、急に冷たくなった風の中で、生まれたばかりの梅の実に、云いながら、『がくから顔を出すな』と言い聞かせながら、心配でなりません。
左の写真は、生まれたばかりの梅の実たち。 真ん中は工場の裏山で、梅よりほんの少し先に生まれた『山グミ』の子供達です。 左は、1番良く実を付ける鶯宿梅で、これを『母体』として、『接ぎ穂』を採取して、鶯宿梅の苗木を作ります。 紅梅園の鶯宿梅の母親?です。

20060302-1.jpg 20060302-2.jpg 20060302-3.jpg



| 1 | 2 |


ホームに戻る土へのこだわり成分分析会社概要商品紹介有機野菜ご注文お問合せ
Copyright (c) 2005 KOUBAIEN All right Reserved.