Diary 2012. 5
メニューに戻る
5月7日 (月)   連休の 最終日

 今日も快晴の 五月晴れ。 明日から又、忙しくなるので、梅園に行って見ました。
四月はじめ、大豆くらいだつた青梅は、あと十日程経つと収穫を始めます。 一番早いのは小梅ですが、左の写真のように、もう丸く整って、色づくのを待つだけの様でした。
 
 梅園の土手には、真ん中の写真のように、ドンコの種ゴマを打ち込んだ椎茸原木に、カンレイシャをかけて、十五箇所寝かせてあります。 
梅園の防風のため、梅と一緒に植えたクヌギですが、昨年の暮れ切り倒して、つい先月四人で一週間かけて、 【ドンコ】 の種こまを打ち込みました。 冬になったら木立の下に立てかけて、来年の晩秋から 【ドンコ】 を収穫出来ると思います。
原発事故で、椎茸に残留放射能の多いことを知り、少しでも椎茸がお客様に提供できるよう、商品の隙間の詰め物に出来るようにと、従業員全員で一週間かけて、種こまを打ち込みました。
右の写真は五年前、今収穫しているドンコの原木に切った、クヌギから芽だった二代目です。

20120507-1.jpg 20120507-2.jpg 20120507-3.jpg



5月6日 (日)   未来の 梅園予定地

 大淀川源流の流れの近くに、広々と広がる梅園予定地。 道路から三メートル近く上の高い所で、周囲は山林に囲まれています。
土は細やかな良い土ですが、土壌は本当に痩せていますが、この夏から、早速雑草を育てて畑に鋤き込み、秋には燕麦を植えてこれも鋤き込み、冬は麦を育てて初夏、長く伸びきった麦を、これも、畑に鋤き込みます。 堆肥と菜種や椿油の油粕も加えながら、肥沃な土壌が出来上がるまで 【時】 をかけて、毎年繰り返していきますが、 その間に、鶯宿梅の苗木も用意します。
 
 新しい梅園の立地条件は、 左の写真のように、道路から三メートル近く上の台地。 右の写真は、手前の高い場所から見た、梅園予定地の背景写真ですが、遠く町や市街地を離れた、半高原地帯? で、 段々畑の土手を取り払った、真ん中の写真のように広々とした、立地条件も揃った最高の場所。 近くの大淀川源流では、一ヶ月たらずで、ホタルも飛び交う里山です。

20120506-1.jpg 20120506-2.jpg 20120506-3.jpg



5月5日 (土)   新しい 梅園予定地

 梅干や梅肉エキスなど買って下さったお客様から、毎週 身に余るお礼のファックスや、お葉書を頂きます。 その度に、私はお客様への感謝と責任を感じて、十年、二十年、三十年先の計画を考えておりましたが、大淀川の源流近くに、新しい梅園の場所が見つかりました。 樹齢五十年になる鶯宿梅と、殆ど同じ面積です。 

初代の鶯宿梅が老いて、広い梅園の中で、盆栽のようになる頃には、この新しい梅園が 【働き盛りの成園】 になって、 世代交代になるでしょう。
老木園は、皆様の梅の花見の 観光園になったり、老木から立ち上がった 【次世代】 がそれなりに成長して、穏やかな見た事もない 【未来園?】 になるかも知れません。

 道は狭く、不便な山郷ですが、全く周囲からの農薬被害の心配も、開発移転の心配もない、今は殆ど消えてしまった、野茨や 卯の花 フジバカマまで、残っている静かな山郷です。
肥沃な土壌にするまで、時間もかかりますが、生き残っている植物の保護もかねて、お客様に、何時までも変わらぬ梅干や梅肉エキスが、お届け出来る事に、一安心しました。
左から 半世紀ぶりに出会った ”フジバカマ”。 陽の光を求めて立ち上がった ”白野茨”。 右の写真は、秋の草払いで切り落とされ、短く立ち上がって咲いた ”卯の花” です。

20120505-1.jpg 20120505-2.jpg 20120505-3.jpg



5月4日 (金)   久しぶりの 五月晴れ

 朝、カーテンを引いた途端 真っ青な空と、椿の若葉とキラキラ飛び跳ねている朝日。 パジャマのまま、デジカメをつかんで外に出ていました。
本当に久しぶりの五月晴れです。 私たち百姓の仕事は、殆ど天気に左右されますが、特に五月は、シソの定植、八十八夜のお茶摘、麦刈り、玉葱の収穫など、晴天でないと困る事が多いのです。 
連休の今日から社員はみんなお休み。 会社は私が一人で留守番ですが、今日は、まるで 【私の日】 見たいな気分になって、ワクワク、うきうきの気分でした。
左から 快晴の朝日に映える窓辺の ”山紅葉”。 真ん中は 私と一緒にここへ移ってきた、黒松の ”新梢”。 右は 収穫を待つ今朝の ”鶯宿梅” です。 

20120504-1.jpg 20120504-2.jpg 20120504-3.jpg



5月3日 (木)   梅は長男 スモモが長女、、

 五月の紅梅園は、いろいろな果樹の実が 成り始めます。  もちろん梅が ”ダントツ” 早くて、五月今月の中旬か 下旬には収穫を始めます。 
庭と梅園の中程にある三本の 【スモモ】 は二番目で、梅の収穫と加工が終盤戦になる頃、疲れ果てて自宅に帰る途中で、うっすらとピンクに熟れ始め、綺麗に薄化粧したように ”粉ふき” の状態になると、とても美味しいです。 誰にも知らせず、一人でいっぱい食べた後で、皆に教えるのです。 一番の楽しみです。
右は、 【ギンナン】 の今の様子で、花が散り、やっと実の形が見えてきたばかり、今から生理落果します。 柿はまだ、栗も今からです。
他に、甘柿三品種、 渋柿のいろいろや 栗もいろいろ、イチジクもありますが、鳥や野うさぎ、狸など、喧嘩しながら食べています。 
写真は、左から梅の実。 真ん中がスモモ。 右がギンナンで、全部今日現在の様子です。  

20120503-1.jpg 20120503-2.jpg 20120503-3.jpg



5月2日 (水)   私が子供の頃

 テレビのスイッチを入れると、世界遺産アユタヤの番組でした。 アユタヤ王国が外敵に攻められた時の映像に、『山田長政が出て来ないな?』と、思いながら見ていると、出てきました。 子供の頃に返ったみたいに、とても嬉しいでした。
子供の頃、単行本だったか、少年倶楽部みたいな本だったか、映画だつたか、、。 鉢巻き姿の山田長政が、上半身裸で巨像だったか馬だったか、神出鬼没しながら、敵を蹴散らして、大活躍する話と長政の勇姿は、女のくせに、ワクワクしながら夢中でした。 あの勇姿が、今でも浮かんできます。
あの頃、山中峰太郎は、ジャングルのゴリラやライオン等猛獣の物語。 南洋一郎は知らない遠い海の物語。 何だか嘘っぽい名前だな?  と思ったのも思い出します。 
あの子供の頃、遠い知らない国で、大活躍する日本人の山田長政が嬉しくて、嬉しくて、、自慢で、、。 久しぶりに子供の頃を思い出して、元気がでました。 

 シソの定植畑の様子見に出たところ、霧島は五月晴れ、噴煙が真っ直ぐ上がっています。 梅園では鶯宿梅が早くも二回目の生理落果を終え、たった一個。 昨年は生理落果を止め、たくさんの子孫 【実】 を残して安心したのか、今年は写真のようにほんのまばら、もっぱら体力を取り戻すためでしょう。 賢いものです。 右は梅の下に咲き誇る野草の花、五月晴れの下、今満開です。

20120502-1.jpg 20120502-2.jpg 20120502-3.jpg



5月1日 (火)   今日から 五月

 ようやく雨が上がって、連休前に済ませておきたい作業の指示を済ませ、自分の庭に行くと、昔の名前で 【いぞろロボタン】 の散り残った花が目に付きました。 私達が小学生の頃は、進学するとすぐ、新しい先生の家庭訪問がありました。 私は集落の同級生の家の道案内をしていましたが、どの家の庭にも、たいていこの【イゾロボタン】 の蕾が咲き初め、素朴な草屋根の庭が懐かしく思い出されました。 
家の裏へ蕗摘みに回ると、今度は 犬走りのすぐ傍で 【母子草】 が花盛り。 庭の端にある池にも、名前を忘れましたが、今は他の水場では絶えてしまった水草の黄色い花。 除草剤を使った事がないため、生き残っています。 
左から【イゾロボタン】 【母子草】 【池の水草の花】

20120501-1.jpg 20120501-2.jpg 20120501-3.jpg



| 1 | 2 |


ホームに戻る土へのこだわり成分分析会社概要商品紹介有機野菜ご注文お問合せ
Copyright (c) 2005 KOUBAIEN All right Reserved.