Diary 2011. 9
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9月18日 (日)   痩せ蛙

 取材のカメラマンの方をお送りして 帰宅。 〔何時かな?〕 と、時計代わりにテレビのスイッチを入れたら 相撲の時間。 見ると百キログラムを切ると聞く体重の 痩せた? 隆の山の土俵入り。 思わず見入ってしまいました。
昨日に続き今日まで二回しか見ていないのですが、何とも目が離せなくなくなりました。 
私の頭の中には、学生時代に大好きだった 一茶 の句の中に 〔痩せ蛙 負けるな一茶 これにあり〕? が、浮かんできて、隆の山は、すっかり ”痩せ蛙” そのもの。 自分のほうが力を入れてしまって、、〔頑張れ!〕。 相手の力士なんて全く目に入りません。  勝ったから良かったです。 ほっとして 夕食の支度にかかりました。


9月17日 (土)   備蓄について

 近頃 良く〔備蓄〕 と言う言葉を聞きます。 私にとっても、紅梅園にとってもそれなりの 〔備蓄〕は、絶対必要で、大切な事です。
紅梅園は、無農薬で生産した自家栽培の原料だけを、加工販売している関係上、最低でも一年間の販売量は、備蓄しています。

 終戦前後の或る夜中、私は母と二人だけで、裏の孟宗竹林と畑の境界に、竹の繁殖を防ぐために掘られた溝に、ドラム缶に白米を満杯して埋め、備蓄したことがあります。
あの頃、米は耕作面積によって割り当てられる ”供出米” は済ませても、”強権発動” といって、いきなり屋根裏や、畜舎の堆肥の中まで、鉄棒を差し込んで家捜し、保有米まで持っていかれたのです。
ある日、母が 〔住み込みの使用人は、賃金は全部親に渡して、自分の楽しみは、腹一杯 白いご飯を食べる事だけが、自分の楽しみだからね。 絶対 代用食は食べさせたくない。 ひもじい思いはさせられない〕 と言い、〔米を隠している事が漏れたら、憲兵隊にしょっ引かれるから!〕と、母と二人だけで、真夜中に必死で深い穴を掘り、次の深夜に母が用意した米を、ドラム缶に入れたのですが、気が急いて、ドラム缶の穴が小さく、なかなか満杯にならず、泣きそうに怖かったのが忘れられません。
お陰で備蓄の安心を味わい、私は何でも備蓄するのが ”癖”になり、家中物が多すぎるような気もしますが、オイルショックの時も、慌てて買い物をした事は、一度もありません。 


9月16日 (金)   カマキリと 蝉の関係

 私の事務所は、梅園を背にしていますが、窓のすぐそばで、蝉が ”ジィ−! ジィ−!” とけたたましく鳴きながら、羽根を バタバタ させる音。 窓越しに振り向くと、 ”ビックリグミ” の茂みの中。 カメラを向けて写して見たのが、左 一番目の写真。 
【ウワッ!】 と、びっくりして飛び出し、写したのが、 真ん中の写真と 右の写真! 地獄です。 自然の摂理とは言え、あまりの惨さに、、【たった一週間の命を、何も食べなくても良さそうに!】 と、叩き落したくなる衝動に駆られましたが、 【カマキリも今 子孫を残すために、 鈴虫と同じように、 オスを食べる】 と、聞いたことを思い出し、 自然の摂理だ! これが自然なのだ!  と、自分に言い聞かせながら、事務所を引き上げて帰りました。 
写真は、 左の蝉を カマキリが右の上の方から 蝉の頭を抱え込み、 今にも喰らい付きそうにしています。 これも 【自然の摂理】に 違いありません。 解っていても嫌ですね。
 

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9月11日 (日)   今日は 私の誕生日

 昭和四年、私は、集落に赤痢が発生し、隔離された中で生まれました。 小さな五十戸前後の集落です。 産婆も立ち入り禁止。 隣が死産だったため、母が産気づいた時、父は見張りを避け、尻込みされる産婆さんを、無理やり背中に負んぶしたり、里山の中や山陰のあぜ道を伝い、見張りをかいくぐって、頼んできたそうです。
 生まれた私は、産声もあるかなしかの虚弱児で、 父は母のお乳が出るように食事をつくり、祖父は、分厚い書物をだして、私の名前を精一杯 字画による〔運勢〕 を考え 考えて、〔文子〕 と名づけたとの事。
両親や 祖父母は、〔賽の河原には行かせたくないから、〔せめて八歳までても〕 生き延びさせて下さい!〕 と、神仏に祈ったとのこと。 
 晩酌でほろ酔いの父が、膝の上に抱いた私の髪をなでながら 〔せめて 八つまでは 生きます様に〕 と、云ったとたん、 鯨尺の長い物差しで、母が父の肩を ”ピシャッ!!” と、叩きました。 母は、傍で縫い物でもしていたのでしょう。 私は 覚えています。 〔もう解る頃だから、文子の前で言うな!〕 と、母が本気で怒ったのだそうです。
 
 小学校に上がった頃から父は、賢くもなかつた私に、〔お前は賢い子だから、勉強して女子大の 薬学部に行け。 薬剤師になって、将来は、”薬局” を開け。 嫁には行くな。結婚はするな。 薬剤師で充分生活出来るから、長生きできるから、、〕 と、ほろ酔いすると口癖のように言いながら、私が六年生に上がったばかりの四月、 四十五歳で、一晩も看病させないで、急死しました。
私は、あれからすぐ ”気管支喘息”で入院、 虚弱体質で ”四苦八苦” しながらも、子供にも孫にも恵まれ、戦争も、終戦も体験し、八十二歳になりました。 ここまで生かされて、 〔使命感〕 の塊みたいになるのは、当然だと思います。


9月7日 (水)   紅梅園の 巨大コンニャク芋

 紅梅園の ”共生” でもう一つ、コンニャク芋です。 自然界は ”輪廻”。 紅梅園のコンニャク芋も、何時の間にか梅の樹と共生しているうちに、巨大化してきました。 昨年は一個で五.二sという巨大コンニャク芋にびっくり。 とっても美味しいのです。 今年も、梅園のあちこちの草の中から、コンニャクの大きな葉っぱが目立ち始めました。
 今から 二十余年前、御池地方の開拓者の方から、直径三cm〜五cmのコンニャク芋の種を買ってきて植えましたが、草で解らなくなり、何時の間にか忘れていたところ、梅園の思いがけない所から、あちこち、大きな葉が姿を見せ始めました。

 自分達でコンニャクを造る時間がないので、高千穂の 興絽さんにコンニャク芋を送って、高千穂でニンニャクにして頂くのですが、 「まあー! 大きな芋よねー! 一個で釜いっぱいになったわッ!」 と、電話の向こうで、お年を感じさせない笑い声が嬉しくて、毎年送っています。

 今年も、梅園のあちこちの草の中から、数本づつの群が目立ち始めました。 コンニャクは病気に弱いと聞きますが、病気なんて見たことはありません。 右の茎の折れたコンニャク芋は、多分五kg位あるやも、、、。嬉しくて、心がウキウキしてきます。 

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9月6日 (火)   梅園の 土の力

 野菜畑の散水から帰り道、梅園の草の中から、なにやら紅いものが見えたので、草を引っかくと、中から真っ赤な ”唐辛子”。 草が伸びる前の春先、半分枯れた梅の根方に、唐辛子の苗を植えたのを、すっかり忘れていました。 【年は取りたくない!】
唐辛子よりも長く伸びた野草の中で、ちゃんと唐辛子も共生していたのか、綺麗な実が鈴なりです。 改めて見回すと、事務所の窓近い梅の木にも、すごい糸瓜がぶら下がっています。
十月からの剪定作業を前に、邪魔になる雑草を刈っていると、今まで気付かなかった植物同士が、すっかり仲良く秋のみのりを共生していました。 土が肥えて元気なので、競り合って相手を痛める必要がなかっのでしょうか。
みんな仲良く、何もかも分け合って、共生してしているようにしか思われません。 

左は 掻きむしった草の中から現れた、真っ赤に色づいた唐辛子。 唐辛子の場所は、真ん中の梅の樹の根方の草むら。 右は 一メートルを越す糸瓜が、ブラーリ ブラーリと何本もぶら下がった梅の樹。 梅の樹は大変なはずなのに、何だか楽しそうに見えます。

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9月5日 (月)   十五歳の 旅立ち

 〔みんな一人じゃないからな〕 テレビをつけたら、東日本震災で肉親や友人を亡くした高校生達の映像、、。 そのまま釘付けになって、一緒に涙を流しているうちに、私の脳裏に鮮明によみがえってきたのは、二十歳前の若い特攻隊員の面影、、、 私が十五歳で見送ったあの人達は、今でも幼顔の残る若いまま。 見送った私は今、八十二歳なのに、あの時の記憶は、何時までたっても色あせる事はなく、鮮明なままです。
あの終戦から立ち直れた時、私も 〔これからは 悔いのないように生きる。 二度とない 一回きりの限られた人生だから〕 と、性根が定まったように思います。
〔頑張って!〕 と、あの特攻隊の人達の面影とかさなる若い高校生に、涙を流しながら、心から熱い思いを 応援をおくりました。 

 夜の梅園は、もうすっかり秋です。 昼間の三十二度は 錯覚みたいです。 宵のうちは、クツワムシが ”ガチャガチャ” と鳴きたて、月が上がってくる頃は、コオロギが ”コロコロ コロコロ” と静かになき交わし、私が床に入る頃は、地虫が小さく ”ジィジィジィ” と、ひっきりなしに鳴いています。 紅梅園は とても良い所だと思っています。


9月4日 (日)   ツバメの 旅立ち

 今朝 庭掃除の箒を取ってふと気付くと、敷地いっぱいの ツバメの糞。 まるで梅の散り花みたい、見上げた電線には、たった一羽のツバメも小鳥もいない。 
今年は 見事な旅立ちでした。 毎年、二三羽残っている事があるのですが、今朝は一羽も見当たりません。 嬉しくて、【頑張って!】と、裸になった寂しい電線を見上げながら、胸が熱くなりました。
今年は、ツバメの子育て真っ最中は雨が多く、虫も本当に多いでした。 サツマイモの葉っぱは虫にポコポコ穴をあけられて、殺虫剤の散布を多く見かけたのですが、もう、子供たちは充分育った後だったのでしょう。 
何よりも、紅梅園の草は凄いもので、どこかで、絶え間なく毎日のように草刈りでした。 草が多いと連鎖反応で、虫も草に比例して多くなります。 それに、紅梅園の草は、無農薬で、ミネラルいっぱいの草ですから、虫も栄養たっぷりのはずです。 
来年の初夏、ツバメが帰ってくるのを連想しながら、空っぽになったような心を満たしながら、掃除でした。

左は昨日の午後のツバメ達、 右は今朝の梅園の道の糞と 静まり返った今朝の電線。

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