Diary 2012. 9
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9月30日 (日)   長い日本列島の 南と北

 〔梅ちゃん先生〕 の朝ドラが終わり。 梅ちゃんは、私と殆ど同じ世代。 あの頃は、生活事情や考え方等、東京も南九州も殆ど変りのない時代だったのだと、時々見るドラマと一緒に想い出を辿りました。 
鉄工所に入社した、東北の ”金の卵”の少年が 『うちの爺様が言っていました』の 『門を叩け さらば開かれん』 も、今まで私が聞いたすべての ”ことわざ”も、私の爺様と同じでした。  
諺の事もですが、あの 【爺様】と言う呼び方です。 少年の北と 私の南九州は、長い日本列島の両端。 ましてや大正 昭和の時代。 爺様に並んで ”婆様” のはずが、女は ”婆さん” でした。 子供心にも、どうして爺様だけ 様 がつき、婆さんは ”さん” なのだろうと、漠然と考えてはいましたが、この年になって初めて、東北地方も 爺様 。お婆さんも、”婆様” だっのだろうか、、初めて知りました。 
南は爺様だけが ”様” がつき、お婆さんは、”さん” でした。 知れたことですが、”ことわざ” は全く同じで、何かにつけて、爺様や ”ばあさん”から ”諺”が先に出て、躾けられたり、諭されたりしたものです。
 ”働かざる者は 食うべからず” こんなのもあったと思いますが?、、。 本当に昔懐かしい ドラマでした。
昨日の台風は、まあまあの台風で、月初め植えたソマは、二回の台風を超えて花盛り。 ギンナンも黄色く熟れたのだけ落として手伝ってくれ、まだいっぱい成っています。

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9月28日 (金)   人生の 集大成

 縁あって、給食関係の栄養士リーダーの方々と、食関係の講師との会食に、参加しました。 日本橋高島屋での物産展を控え、商品の発送準備できりきり舞いの最中、発起人のひたむきなお誘いに、”義理?”で、出席しましたが、皆さん現役のパリッとした方々ばかり。
乾杯から自己紹介の挨拶、夫々の 【食】 に関わる思いや、取り組みのお話を聴いているうちに、”タイムカプセル” みたいな、錯覚みたいな感覚の中で、時代が変わりつつある事を実感しながら、自分の歩いた人生の苦難の道のりが蘇ってきました。 八十三という年齢も実感となり、自分の長年の ”悲願” が確実に実現しつつある事に感動がこみ上げ、過ぎた日々と、現実が混沌として、自分の集大成みたいな思いも湧いてきました。
女学生の頃から尊敬した【百姓】 が、差別語とされ ”農家”となった義憤から、名詞に ”代表者”を【百姓】とし、奇異な目を感じながら踏ん張った事、当たり前の有機農業が、”古臭い””ドンな馬鹿”農業と言われた時代、【日本の本来の土と、命に基づいた伝統の農法(有機農業)】を、後世に伝えていく、ごく当たり前の事を、【使命】 として、悲壮感さえ感じながら生きた昭和時代。 私が三十台の昭和四十年の頃、【明治は遠くなりにけり】 と、良く聞いたものですが、今、”昭和は遠くなりにけり” と実感しながら、誘って下さった彼女に感謝です。

今日は台風接近中の雨、社員は出荷と 台風対策に大忙しです。 台風は、〔かすっていくだけ〕と ”感覚”で解っていますが、見ぬ振りです。百姓は、気象も体験で会得していくのです。
事務所に、どこからともなく懐かしい薫り、、。 金木犀と 銀木犀が咲きはじめ、その下では、枯れ始めた彼岸花のなかに、遅れた最後の花が真っ盛りでした。 木犀は、昭和29年の9月中旬、急遽入院した結核病棟で ”生きたい! 助けて!”と深夜偲び泣く私を包んでくれた香りで、金と銀と五本、今も一緒です。

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9月24日 (月)   秋を運び 梅を裂いた台風

 二日間 遊び半分に吹きまくった台風、秋を運んできてくれたと感謝していたら、なんと梅の古木を裂きまくって逃げていました。
若い時なら 【だまし討ち!】 と頭に来るところですが、 【仕方がないね。 こっちも高齢で、あちこち弱っているのだから、、】と、梅と話しながら、負担を軽くするため枝を切り落としたり、裂けた傷口に、病菌がつかないように、傷口が乾燥しないようにと、塗布剤を塗りました。
心のどこかでは 『あんた達は良いよ。ここで土に還れるもの、、人間はややこしいよ』。 樹木葬の事を考えました。


9月22日 (土)   色は匂えど 散りぬるを

 今日はお彼岸の中日。お寺に参詣するため、早めに起きて窓を開けると、 すぐ近くの梢で ”ツクツクボーシ” の声。 数えていると ”ツクツクボーシ! ツクツクボーシ!” を十一回繰り返してから ”ツクリッショー! ツクリッショウー! ”と、三回繰り返し ”シーッ”と、終りました。 昔は煩いほど鳴いていたのに、今日はたったの一匹。 唯 今年は雨が多かったせいか、それとも私を慰めるためか、昔の青蛙と 黄色みをおびた蛙が、それぞれ たった一匹、三日ほど間を置いて、姿を見せてくれました。
 『色は匂えど 散りぬるを 我が世 誰そ 常ならむ、、 』。本当にそのとおり。 変わり行く自然を嘆いてみても、命あるもの変わらぬものはなし。 まして、自然界は一時も止まっていません。

 自分で育てた樹齢五十余の梅、毎年変わり行く姿に、自分の命終えた後のことを考えます。 人間は ”骨”が残る。 墓守がいなくなった時、墓石を ”リサイクル” するわけにもいかず、公害? になるやも解りません。
近頃 頭に ”樹木葬”のことが、チラチラ するようになりました。 幸い私の住まいは里山の中。 夏は ”サワサワ” と日陰の風を通し、秋は紅葉して心を慰め、冬は葉を落として日向をくれる、、。そんな一角に、そっと 土に還してもらえたら、、、。

樹齢五十余年 梅は手前も 向こう側も土に還りながら、右の映像のように "ヤブラン" を寄生させて花を飾り、そのまま土に還るかと思わせて、又新しい幹を育てているのです。
しかし、いずれ確かにこの梅にも "終り" は来るのです。 来月初めは又 草刈でしょう。

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9月13日 (木)   台風の 季節

 【二百十日は 土の中】 ソマの植え付け時期を示す、昔から伝わってきた言葉です。 ソマは、九月上旬植えつけて、初霜が降りる前に、短期間で収穫できますが、植え付けの頃は、台風季節でもあります。
今 ソマは芽を出して五センチ位になったばかり。 又、玉葱の苗は、まだ土の中、 若い芽を覗かせたところに、台風の雨粒が襲い掛かって来ようものなら、ひとたまりもありません。
”ラブシート” でもかけて、台風に飛ばされないよう、しっかりと四方八方を土の中に埋め込んで、台風対策です。

 何時の間にか、外は秋の虫に変わっています。 長い 暑い過酷な夏でしたが、季節は変わるとなると一晩で早代わりするものです。 台風が過ぎると、今度こそ本格的な秋でしょう。
しかし、今度 強い風が来ると、里芋の被害は大変です。 ”神様 仏様 里芋だけでも助けて下さい” と祈りたい気持ち。 この前の台風で株ごと振り回されたのもあるし、”赤芽大吉” という里芋は、今から小芋を太らせる晩生の品種なのです。  


9月8日 (土)   喧嘩両成敗

 又 いじめによる自殺のニュース。 大人、親達や社会にも一端の責任があると思います。 【生きたくても 生きられなかった】 私達の時代、 ”自分の祖国存亡の危機、自分達が守るのだ” との使命感で、生きたくても祖国や人々を守るという使命感で、覚悟の上で将来を絶った、、。良し悪しは別として、 ”生きたくても、誰に相談も出来ず” 命を絶つ少年の心根を思うと、何もしてやれない自分が切なくて、 特攻機で飛び立って逝った人達を思い出します。 辛いです。

 私達が子供の頃は、子供のいじめや喧嘩を見つけたり、気付いたりすると、『喧嘩は両成敗』 と決まっていました。 ”弱い者いじめ” でもしたら、皆から 『あいつは 意気地なし。 弱い者いじめしか出来ないやつ』 と、さげすまれ、先輩(喧嘩大将又はグループ長)から、”どやされて” いました。
私の十歳年下の弟が友達と喧嘩して、止めても聞かなかった時、兄は 『二人ともこっち来い!』 と呼びつけ、二人の頭と頭を鷲掴みにして、 『喧嘩はどっちも悪い!』 と怒鳴って 『喧嘩両成敗! ゴツン! 』 とぶっつけました。 友達の方は、喧嘩相手のおじさんが怖かったのか、黙って顔をしかめ、頭をさすっていましたが、弟の方は十五歳も年上の兄に飛びかかって 『僕の方は 頭の柔らかいところで、痛かった! あいつの頭の固い所で ”ゴツン!”とやった! 不公平だッ !』 と兄の下腹を叩きながら泣き喚いたのを、思い出します。

左の梅は 倒れたまましぶとく繁り、右の梅も 元の根は腐りながら八方に分解しながら生き抜いていく、、。 人間は動物 梅は植物 どちらも同じ地球の生物なのに、、。

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9月7日 (金)   暑さの中の 草刈り地獄

 今年の草の繁茂は、本当に異常です。 例年は四月下旬から五月上旬一回目刈り取って収穫。 収穫直後に二回目、その後十月まで合わせて年間六回、多くて七回です。 今年は八月末から九月今日現在で七回目がやっと終了。 今後九月下旬と十月で九回です。
しかし、その苦労分だけ、梅の樹は元気いっぱい、まだ殆どの樹が葉っぱを全部つけて、栄養蓄積をやっています。 日照りのひどい時、雨の少ない年は、もうお盆を過ぎたら落葉を始めてしまいます。
来春、四月上旬まで、 【三寒四温】 の穏やかな早春が過ぎたら豊作間違いなし。 来年の収穫 加工は大変で地獄? の労働になりましょうが、それは、有難い 幸せな労働地獄で、 多分今年の草刈労働分だけは、従業員に ”お盆のお小遣い” ではなく、初めての ”夏のボーナス” が出せるかも解りません。 お客様にも、何等かの形で、お礼が出来るかもわかりません。
娘が 『それを ”取らぬ狸の皮算用” というのよ』 と、言いますが、私のは、多分に現実性のある 【取らぬ狸の、、】 です。

左は今回の草刈で、一番早く刈った梅園で、もう草が伸び始めています。 真ん中は、畑の隅の草の中から出てきた梅の樹、まだ生きていました。 右は 八方に裂けた古木、これも草の中から現れました。

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9月5日 (水)   日本列島の 河童

 一番広い梅園の草刈が終わり、 ”すかっ!” と爽やかに、梅園の奥まで スカーッ と見通せて、梅園の風通しが良くなって、すっかり私の体調まで良くなったのか、ぐっすり寝込んで今朝目が覚めて一番に目に入ったのは、 『ゲゲゲの鬼太郎』 のドラマ。 テレビもつけっ放し、昨夜 何を見ながら眠ったのか、、。

『今日は 病気になったつもり、、』 にして、そのまま天井を見ながら子供の頃を思い出しました。 私達の村にも、隣の鹿児島県の川でも、 ”カッパ”を見た人はたくさんいました。 私も一人で川土手を通った時、誰もいない 静かな川の真ん中で、急に ”ギュルルルッ!” と、人が渦に巻き込まれた時みたいな、、見た事はないのですが、そんな大きな渦が起こったのです。 ワアッ! と、見た途端 死に物狂いで不安定な土手を走って逃げましたが、今でもあの時の渦は、脳裏に焼きついています。 隣の鹿児島県の柳井谷村の田を抜けて、私達の田のほぼ真ん中を流れていた、川幅三〜四m程の普通の川で、私が見たのは、柳井谷のめったに行かない所でした。
『馬鹿か!』 と、笑われそうで、誰にも話していませんが、今でも ”あれは何だったのか 河童は居たのかも知れない?” と、いまだに心の隅でモヤモヤしています。 『昔話』 でも、日本列島のどの地方にも出てくる ”カッパ”?? 正体は いったい 何なのでしょう。

私も年寄り、、 たまには 『病気になったつもり、』 も、良いもので、心豊かな朝になりました。 

左の梅園は、手前の倒れた梅は、後継者を用意して、土に還りつつあり、真ん中の梅園も、右の映像も、ずっと 向こうの端まで見通しがききます。 しかし、今月の末にもなれば、又 草の中に埋まる事でしょう。

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