Diary 2012. 6
6月21日 (木)
私の 休日
今日は一番最後に私の休日。 梅の収穫が始まって以来、飛ばした日曜日五回の代休です。 何時もの時間に目覚め、昨夜洗っておいた ”桃”を、氷砂糖と一緒に三十五度の焼酎に漬け、カーテンを明け、鍵とセコムはそのまま、又ベッドへ。 疲れているので起きたくないのですが、落ち着けません。 収穫も無事終ったようなものだから、修行のお寺へお礼参りに行こうと飛び起き、事務所に連絡したら 『こんな日に』と止められました。 ”もう決めたのだから、”と準備していると、『大雨警報が出たよ。止めた方が良い!』 と孫のきつい声。
諦めて机の整理を始めたら、農林水産省からのアンケート調査の書類が出てきて、期限は今月下旬、時間がないので慌てました。
結局今日の休日も、アンケートの解答用紙と、質問が書かれた小冊子? と、横に並べて 左を読んだり、右に印をつけたり、ややこしくても、大切な資料になるので、おろそかには出来ません。 以前、農林公庫の支店に、夜の九時過ぎ忘れていた連絡を思い出し 『多分誰もいない』 と思いつつ電話したのに 『ハイッ! 』と即座の返事にびっくりして、言葉に詰まったことを思い出しました。 公庫の方々は、何時も遅くまで頑張っていらっしゃるのを思い出し 『頑張ります』 と自分を励ましながらすませました。
左は 仕込んだばかりのきれいな桃酒。 真ん中は、梅干用の収穫したばかりの日本古来からの鶯宿梅二個と、福岡八女地方の在来種、光友一号。 光友はこの梅の故郷 光友の名を取って ”光友一号” と名付けました。 昼間は、都城自衛隊のクリーニングの委託で生計を立て、夜半出発して、熊本県との峠を越え、球磨川沿いをクネクネと一時間半かけて国道三号線。八代、熊本市内、山鹿を越え、二十分づつ二、三回仮眠を取りながら朝方、八女光友の谷川要之助さん宅に着き、二時間ほど梅の実践勉強をして折り返していました。 胸が熱くなるほど愛しい中梅です。 右は ベッドから、今朝の窓越しの雨の庭。
6月20日 (水)
待ちにまった桃は 真っ赤か
社員交代で休む事にして、今日は後継者が休む日。 何時もより早く工場に行く途中、すももの ”綾錦” を一寸見ると 全く桃が見当たりません。 『しまった! 渡り鳥に全部やられた!!』 と、びっくりして近寄って見ると、真っ赤かに熟れた桃が、いっぱいついています。
『ハハアー すっかり疲れて、目もうすれて、、視力もすっかり弱り果てたなー 』 と、思ったものの、工場には行かず、桃の収穫をはじめました。 昨日と一昨日 二日間で、改良品種の大きいニンニク 十七kg、 在来品種 十四kg、一人で合計三十kg余りの収穫でした。 雨の日の収穫で、泥だらけなので、きれいに洗ったり、疲れるはずです。
『桃酒』 も作ってみます。 今年は豊作で、たくさん 成っていますから、鳥にもやりましょう。
パンパンに熟れた 『綾錦』のすもも。 真ん中は、近寄ってみると枝もたわわに、熟れた桃。 右は、桃とは対照的に、雨に打たれて病気になりかけ、弱ったトマト、残念です。
6月18日 (月)
台風の 今と昔
台風が来るというので、ビニールハウスに取り入れてあった小麦の脱穀を急ごうと、後継者は朝早くから朝食も取らないで、脱穀の準備。 『台風は来ないよ』 と、言いそうになって、 "コクン!" と言葉を飲み込み、私はニンニクの収穫準備。 足腰が痛くならないよう、両ひざを地面につけて収穫するので、しっかりした布地のジーパンをはきます。 他の社員は、脱穀の手伝いを一人残して、梅の収穫へ。
私が若い頃の台風は、最大風速40m〜50mが標準で、殆ど ”枕崎に上陸” していました。テレビはないし、ラジオだけが頼りでしたから、雲行きと、夕日や空の様子、風の様子等、総合して判断していましたが、子供の私でも ”薄気味悪い” 雲行きでした。 そして台風一過 田圃は水を被り、草屋根のテッペンは飛ばされ、庭木も折れたり、傾く家も珍しくなかったのです。 ルース台風の時だつたか、母が、弱い私は邪魔だというので 『防空壕の中が一番安全』 と、空襲の名残の ”壕”のなかで、図書館から借りた徳富蘆花の 『自然と人生』を夢中で読みふけり、壕から出てみたら、視野は一変して何もなくなり、全く変わっていたのです。 今でも脳裏に焼きついていますが、屋敷樹に囲まれた私の所は助かりましたが、その時の台風では、集落の多くの家が倒壊しました。
今、殆どの台風が和歌山のほうへ行くので、私達は助かりますが、紀伊半島の人達に何だか悪くて、心の中で ”申し訳ない? ” と手を合わせる事があります。 温暖化のせいで、海流が変わったのだと思います。
取りあえず、写真のように、里芋の周辺と茄子の根回りの草は取りました。 右は 借りてきた脱穀機で麦を落としましたが、今年の小麦は例年の半分も無かったようです。 ”カックン” きてました。 自然相手ですから、こうゆう事もあるのです。 梅が主体ですから、、、
6月15日 (金)
梅干漬けの旬
朝から雨、パートの人達は殆ど休み。 梅干の漬け込みは今が最盛期で、 野菜畑は草が伸び放題。 毎年の事ながら、六月の中旬までくると、シソ畑も 里芋畑も 畑全部の草が伸び放題になり、一気に仕事に追われる気分になってしまいます。
今年の梅はしっかりしているし、最高の梅干を漬けたくて、今度の日曜日も休みは延期です。 畑はとりあえず、草取りが好きだと言うシルバー派遣の方に、小雨の中、茄子やピーマンの草とりを頼んだところ、里芋畑の草のほうが大きいからと、里芋の草取り、、”しまった!と 思った瞬間 『里芋は大きいし、しっかりしているから草には大丈夫。 茄子や ピーマンが これ以上草に埋もれると駄目になるから、雨なのに草取りを頼んだのよ!』 怒ったのではないけど、声の大きい私は、『雨が降るから、茄子と ピーマンだけで良いですからね。 雨の中で大変ですね』 と、気を使って、茄子とピーマンが終ったら、すぐ帰るよう言い足して工場へ。
工場では色づき始めた梅が、次々に運び込まれ、選果機で選別され、満々と水を張ったタルに、 ”ジャバーッ!” ”ジャパーッ!”と移され、手作業で次々と洗われて行きます。
私は疲れもあり、自分の ”老婆心”を心配して、『少し休ましてね、 年寄りだもんね』 と言い訳して自宅へ帰りました。 ほんの少し雨の止んだ庭へ回ると、雨に濡れた色とりどりの紫陽花の花が、心の疲れをすっかり流してくれました。 梅干用の梅も、しっかりした梅です。
6月12日 (火)
持て余す 老婆心
降ったり 止んだりの低い雲の中を、ホトトギスの啼き渡る声、懐かしく今日初めて聞きました。 子供の頃親しんだ鳥や昆虫等、殆ど消えていくなか、帰ってきたホトトギスの声に、ホッとする反面、何やらうら悲しい気持ち。 ホトトギスが来ると、少なくなった鶯の雛が突き落とされる、、。ホトトギスは、鶯の巣に卵を産み、生まれた雛は、鶯の雛を突き落す、、鶯は自分の雛を殺したホトトギスを、せっせと育てる、、。 これも ”自然の摂理 ?” と思うのですが、疲れのせいか、”テッペンカケタカ” と懐かしいはずの鳴き声も素直に喜べず、なんとも割り切れません。
工場では、梅肉エキス用の収穫は今日で終り、明日から梅干にかかります。 梅肉エキスの時は 焦げ付きに心配し、梅干になると、今度は全身全霊でかからないと、無添加で塩分十一パーセントの梅干は、失敗します。 市場の無添加梅干の塩分は、殆ど二十パーセント前後。 塩分十一パーセントの無添加梅干は、無農薬で生産した元気な青梅を、収穫と同時にしっかり洗い、しっかり水切りして、清潔なタルに、天日塩で漬け込みます。 天日干しの選び抜いた塩は、国内でも生産量が少なく、価格も大変高価ですが、五十年もかけて育てた無農薬の梅は、最上の梅干にしないと、私の人生は、使命は、何だったのだろうと、言うことになります。
一年に、たった二十日間前後の チャンス しかないため、 後継者達に、同じ事を、何回も ”くどくど” と、自分の ”老婆心” に、自分ながら ”うんざり” する事すらあります。
何時も、自分自身に 『自分が元気なうちに、一度でも失敗の地獄を経験させる事だ。 それが大切だ』 と、言い聞かせながら、 出来ない自分! 老婆ではあるが、 ”老婆心” は駄目! 解っているのに、、。自己嫌悪に小雨の中庭に出ると、 ”綾錦(すもも)” が色づき始め、草の中から ”ホタルブクロ”の花。 皐月も雨の中で、全部向こうを向いて咲いています。
6月11日 (月)
小同窓会の 物故者
傘寿の同窓会以来初めて、卒業して六十七年目の昼食会をしました。 会の初めに他界された方のご冥福を祈りましたが、その中に 全く予想もしなかった親友の名があり、黙祷とともに胸がつまり、会食どころではありません。 気付いてくれた友人がそばに来て、『いい友達だったもんね』と、ビールを注いでくれました。
宴たけなわの頃、向こうの席から 『敵機襲来!』と、中腰で友人の手招き。 とたん 離れたまま女学生に逆戻り 『アッ、ハッハッ、ハ、、、』と大笑い。 同じクラスの時、時は太平洋戦争の真っ只中。 『一億火の玉』 の校長のあだ名は 『日雷』、由来は(降らない時の雷は、どこにでも落ちる)。何時、何の事で怒られるか解らない、、。 空襲が激しくなるとあだ名は 『敵機』 に変更。 ある日の事、教科の先生を静かに待っている時、校長先生が室を出られたとたん 【警戒警報発令】 と小さな声がした。 校長が廊下をこちらへ曲がられると 【空襲警報発令】と同じ小声、 教室の近くに来られたとたん 【敵機襲来】! もう、私達は笑いをこらへる限界、クスッ! クスッ! と声がしたのか校長先生が、窓から首を差し込んで 『何がおかしい !』 とたん、押し殺した声で 【爆弾投下!】 私達は ワッ! と噴出して、校長の本当の爆弾が落ちた 『級長立て! 班長たてっ!』、、。 その後の事は覚えていませんが、 『立たされなかった副級長は良いな』 と、思ったことだけは覚えています。
あの時の ”犯人” 愛子ちゃんとは、同窓会で会う度に、あの時の思い出から始まるのです。
昼食会から帰るなり工場へ。 梅肉エキスの加工は今日の梅で終わりです。 籠で運ばれてくる梅は、もうほんのりと黄色がのり始め、梅干に最高の時期になりました。 私の寿命も何時尽きるのか解りません。 友人達との名残は心に仕舞って、作業のネック一つ、一つの伝承をしっかりと、心残りのないよう、いつでも土に還れる様、心引き締まる思いをしました。
写真は、全部忙しい梅のために、後回しで草ボウボウの ”ニガウリ”。 真ん中も草に埋もれ、見え隠れのさつき。 右は、下の半分草に埋もれた ”ブルーベリー。 大丈夫、梅が終れば ”スバッ!” と綺麗に手入れしてやります。
6月8日 (金)
雨は降るし 疲れはたまるし、、
いよいよ 梅の収穫と加工も月をこえて、そろそろ疲れが見えて、パートの人達も休む人が出てきました。 しかし これからも本番です。 後継者の専務も無口になり、黙って黙々と梅肉エキスの計量と瓶詰め。 一番大切な "ネック" なので、専務の責任です。
私は全体の見通しを立てながら、お客様へ発送の時 緩衝材にする野菜の植付なども油断できません。 今朝は 都井岬特産の甘藷の苗が用意出来たとの連絡に、 早朝 往復百二十kmを越す道を受け取りに走りました。
お客様が 『美味しい』 と、収穫を待っていらっしゃるので、迷っている時間はありません。 何時もは年等忘れていますが、遠距離となると、 ふっと自分の年(八十三)を自覚します。 心を決めて、腹の底から般若信教を唱えながら、心に交通安全を祈って走り、持ち帰るなり早々に植えつけました。
左は 植えつけたばかりの ”都井岬のさつまいも” の畑。 初秋から収穫です。 真ん中の、里山の中に沈む夕日、、疲れ切って 足を引きずって歩く私だけの 夕日で、 ”もう お休み” と言っているようでした。 早朝の遠距離走行は、こたえたようです。 右は とうとう落ちだした落ち梅。
6月7日 (木)
『梅が 可愛想』 癌を告知されて
先月下旬 梅の無農薬生産者グループの会長が、 ツツガムシ に刺されたせいだと考えていたら、【癌】 で、急遽入院されたと聞き、夜、鹿屋まで走りました。 病室を探していると、消灯前の静まり返った廊下の向こうに、白い帽子をかぶり、小さくなった本人さんの手招きしている姿、、、さすがに感無量。 面会室に入るなり 『遠い所を 社長、、、』 後は言葉にならず、 立ったままテーブルの上に涙が ポタポタ ポタ 。 グッ! と 詰まった瞬間 『貴方は 生まれて初めて病気になったの?』 涙ポタ、ポタのままで こっくり!と頷かれる 。 『もう 70歳を越したでしょう。 一病息災 と云うでしょう?』 黙ったまま "コックリ" と頷いて まるで少年のように小さく見えました。
『忙しいのに、もう年なのに 農業委員だの 何だのと 色々会長や委員を断れずに引き受け、奥さんも怒るのを通り越して、本気で心配していたから、 神様が、"農卒中" で寝たきりにならないよう、 ご褒美に 『癌』 を下さったのよ。 もういろんな 『役』 から開放されるしね、良かったね』 と、言ったら 『ほんに ! そうじゃなー』 と、何時の間にかにこにこと、本当に嬉しそうに、良い笑顔になられたのを見届けて、帰ったのでした。
あれから 通院治療に入られ、 今朝電話があり、 『梅園の下草払いをしてもらったら、梅が成っていてね、ほったらかそうと思っていたけど、梅が可愛想になって、、。折角成ったのだから、人に頼んで収穫する、、』 と、張りの或るある声に、 ”もう大丈夫 !” と思われて、嬉しい一日になりました。
左の ビックリグミ は、今年最後の実、真っ赤に今にも落ちそうです。 真ん中の ”ヘソ黒柿” は、今 生まれたばかり。 まだ花かすをくつっけた実もあります。 右は、今が ”旬 一歩前” の ”綾錦” のすもも、色づく直前です。 明日から鳥との奪い合いが始まりますが、梅も最後の一番気の抜けない時です。
6月3日 (日)
老いても 社長の出番
梅の収穫 加工も三週目に入り、皆に疲れが見え始めたため、 ここは 老いたりとえども社長の出番。 多少無理して 朝六時半から工場に入り、遅れ気味の 【里の梅】の 青梅割りをはじめました。 昔を思い出して、リズムカルに "パリ パリ" と割れて楽しかったのですが、皆が出勤する頃は多少 疲れてきて、肩が、熱っぽくなってきました。 しかし、今日ごろから正念場になるので頑張りました。
全員出勤して、工場がフル稼働しだしたところで、若緑の銀杏が気になり行ってみました。
大丈夫 !、 夫々 自分なりに実をつけていました。 生まれたての実は、何でもとても可愛いもので、 写真 左のギンナンは、五月三日、花が散って実が生まれたばかりで、一房に幾つも結果しています。 真ん中の写真と右の写真は、今日のギンナンです。 真ん中の房は力(体力)がなかったのか、たったの一個。 右の房は、元気がありそうですが、 最後は一個か二個でしょう。
しかし、ギンナンの若緑の葉は、とても瑞々しくて爽やかで、 目の疲れも 肩の重さも消えた思いです。
6月2日 (土)
今日から 水無月
梅の収穫と加工の 真っ最中。 気分は壮年で 体力は ”年相応”。 なんともバランスが取れなくて、疲れて、工場と自宅を行ったり来たり、、 その上 忘れ物を取りに行って、今度は置き忘れ! 。万歩計は何時も 五千前後だったのに、昨日は七千八百二十五、 今日は もう八千台、、、疲れるはずです。
【食は 命】と、応援に来てくれた 元従業員の彼女達と閉店間近 ご馳走食べに行っての帰り、【ホタル!】 を思い出し、下の田んぼへ回り道したところ、ホタルが飛んでいました。
もう時間が遅いのでいないと思っていたので、ほんとに嬉しかった! 年なんか忘れていました。
左は五月三日の すもも【綾錦】、 真ん中は今日の 【綾錦】 です。 丸くなって、もうほんのりと ピンクの色がのるだけ、鳥に突つかれる前にと、 油断なりません。 右は 梅の樹に寄生している 【へびイチゴ】。 どこから種がきたのか、もう絶滅したと思っていたのですが、、。
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