Diary 2012. 4
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4月28日 (土)   梅の樹の 本能 

 花の苗を植えようと思い、花壇に行ってびっくりしました。 昨年落ちた梅の実が、びっしりと ”梅の苗” になっているのです。
花壇の周りにも梅の樹がありますから、毎年梅の収穫の残りが、いっぱい落ちています。 
しかし、今まで梅の苗になっているのは、ほんの少し、気を付けて見なければ気付きません。 それが昨年は梅を始めて五十年余、初めて遭遇した事ですが、梅が ”生理落果” を止め、全部最後まで ”実” になりました。 又、落ちた梅は全部 ”梅の苗木” になっていました。

 左の写真は、大きな庭石の隙間に落ちた梅の苗木。 真ん中は、十二単の花の中に落ちた、梅の苗木で、びっしり出ています。 右は、ストケシアの株の中からも梅の苗木が三本出ています。 やっぱり 二年続きの異変に 【種】の危機を感じ、生理落果もやめて全部実【種】にして、全部発芽して生き延びるように、梅が仕掛けたのです。

 恐れ入りました。 梅も 梅の自主性を大事にすれば、栽培の梅でも自然体で生きる、、だから、農薬なしでも虫もつかず、病気にも枯れず、成分の高い実を結び、長生きするのでしょう。紅梅園の梅の樹齢は、五十歳で現役です。

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4月27日 (金)   梅の 生理落果

 梅は、開花受粉してから約一ヶ月の間に、最初の生理落果をして、完熟する約一ヶ月前に、二回目の最後の生理落果をして、良い梅、良い種を残しますが、私達の梅園では、昨年生理落果しませんでした。 梅園を開業して約五十年、初めての事で、びっしり実をつけていて、大変苦労しましたが、今年は大丈夫 生理落果しています。 
今年の梅と、去年の梅を見ていて、梅といえども、 ”自然の摂理” というか、梅は梅自体の意志で、しっかり生きていると思いました。 私たち人間が、自分達の都合に合わせて管理することなく、梅は梅自体にまかせて、私達人間は、ぴったり寄り添いながら、着いて行くのが当たり前だと思います。 紅梅園の生産方法に間違いなかったと確信しました。
私達は、農薬も散布せず、増産のための無理やりな施肥もせず、しっかり世話をしながら、梅について行きます。
昨年は、一昨年 三月の突然の雪に梅の実は全滅し、昨年は蕾の時、新燃岳が噴火して灰が積もりました。 そのため梅は、多分 【これは大変】と感じ取り、【種】 の保存を心配して、全部 【種】 として残したのだと思います。 
今年は安心して、例年に戻り、生理落果したのでしょう。 左の写真は、二回目の生理落果前の写真。 真ん中は、梅の木の下に 生理落果で落ちた梅の実。 右の写真は、二回目の生理落果もすませた  ”鶯宿梅” です。    

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4月7日 (土)   梅園を助けてくれた 牛たち

 昭和43年のこと、農協の借入れ金延滞のため、梅園は差し押さえられ、農協へ仮登記された事がありました。
38歳だった私は働き盛り。 『越える道は必ずあるはずだ』と、霧島神社近くの御池の木陰に車を止め、【梅は生産出来るまで十年以上かかる】事を理解してくれない 農協の理事さんたちに、 ”残念” の涙をポロポロこぼしながら、『梅園を取られてたまるか!』 何とかしなければ、、と、心の神仏に 『どんな苦労も、どんな試練も必ず乗り越えますから、力と知恵を貸して下さい』と、 ”苦しい時の神頼み” でしょうが、必死にすがって思い立ったのが、一年半で収益の上がる牛の肥育でした。 
農協とは、2年間猶予の約束をとり、1年間 宮崎県と鹿児島県の畜産試験場を視察しながら、3頭の牛を飼って実験勉強しました。 今度は失敗できません。 五ヵ年計画書を作成して商社に相談したところ、計画通り 常時三百二十頭飼育しながら、毎月十六頭の出荷計画は、霧島山麓の栗野の原野で実現、牛の肥育牧場の経営で、梅園は助かったのです。 牧場で4年半経ったときは、『無かったつもり』の ”つもり貯金” が約2千万になり、牧場は売却して、梅の専業に立ち返ることができました。
あの苦しい時、この肥育牧場を思い立ったのは、私が母親になって25才の時、通りかかった屠場の入り口でトラックから降ろされる、ハムにされるという 生まれて十日前後の、可愛い乳牛の雄牛と出会いましたが、それを思い出したのです。
あの時、 『折角生まれてきたのに、せめて半年でも、野山を走らせてからに、出来ないものか、、』 と、可愛想でたまらず、折に触れては思い出していました。 
『そうだ!一石二鳥!』。 神仏は、私に最高の方法を暗示して下さいました。
大好きな大自然の高原で、生まれて一週間から十日位の子牛に、洗濯機で溶かした粉ミルクを、小さいバケツで指を乳首代わりに飲ませながら育て、理想どおり栗野の原野に放牧、肉用牛で出荷しました。
しかし、自分でミルクから育てた牛を、屠場に送る辛さは、他の人には解りません。 目的が達成したとき、計画は半年切り上げて牧場は売却。 屠場に送った約700頭の牛の供養のため、現地に二千坪の土地を残し、山紅葉と欅を約800本植えて、梅園にもどりました。 
あれから四十年余、牛の寝息と大きなオナラ、それに高原を吹き渡る風の音と、手の届きそうな満天の星。 牛たちに守られて暮らした日々は、私の人生の ”最高峰” でした。 
何時思出だしても何故か、 【良かったなー】 と思うのですが、相手が ”牛” ”家畜” だったからでしょうか。 私の ”使命” である梅園を救ってくれたから?? 解りません。 







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