10月9日 (木)
金木犀の季節
何処からともなく漂ってくる金木犀の香り、、。懐かしさの中で無意識に、何か身構えるような緊張感を覚えるのです。 毎年のことですが、七十歳を越えてからは、一生慣れることはないのだろうなと、懐かしくさえ感じるようになりました。 私は、長女が三歳、長男が生後五ヵ月半の時、急に肺結核が重くなり、待ったなしで入院しました。 母乳だけだった子供は、母が見てくれる事になりましたが、粉ミルクを飲もうとせず、火がついたように泣き、どうしても飲んでくれません。 その子供を、長いこと子供に関わった事もない母に頼み、結核病院に入院しました。 しかし、お乳は張って熱を持ち、耳には子供の泣き声がこびりつき、心には、私の命を心配しながら、お乳を恋い泣きじゃくる子供を抱いた母が、一緒に泣いている姿が浮かび、入院して二日たっても三日たっても眠れず、安定剤も効かず、生き地獄の五日間がたった時、母が子守りも一緒に、子供を連れてきました。 やっと首の据わった、頭でっかちの丸坊主になって、ミルク壜を両手でかかえて飲む姿は、今も目に焼きついています。 『おおらかに、気を大きく持ちなさい』 と、毎日老院長先生が見舞って下さっても、どうにもならなかったのが、その日から、食事のとき以外は、ベッドから落ちても目が覚めないほど眠りました。 そして、入院して初めて、同室の先輩の方達が銭湯に誘い、帰りの夕暮れの中に香っていた金木犀を、手折ってくれました。 あれから半世紀あまり、金木犀の香りに会うと、 『絶対生きてここを出る』 と、毎日死と向かい合いながら祈った日々が思い出され、『食べ物を生産する農業をしたい』 と誓い、『絶対悔いのない人生を』と、すがった日々が、甦ってきます。 今の新工場建設の時、売り上げとはバランスの取れない、大きな金額の借り入れに、『新しい決意』 をしたのか、新工場入り口は、門柱のかわりに両方金木犀を植えていました。 私が二十五歳の五十四年前、金木犀が咲いていたのは九月中旬でした。
左は 今年10月9日 満開の金木犀の花と、逆光の、会社入り口、門柱代わりの金木犀です。 逞しくなり、今年新工場も建てられました。
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