Diary 2006. 1
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1月31日 (火)   紅梅園に 早春の気配

正月も今日まで。 私の怪我と冷たい長雨に、久しぶりに梅園に行くと、いきなり赤い藪椿の花が目に飛び込み、いつの間にか『犬ふぐり』の小さな空色の花もチラホラ、『のびる』も伸びていました。 
台風に傷められ、陽だまりにやっと生き残っている老木の枝には、梅の初花も...。他の梅の蕾はまだかたいのに、弱った梅が『種』を残そうと必死の気持ちと、三寒四温の季節の中で、温度の蓄積により咲く梅の習性からか、陽だまりの薄いピンクの花が、痛々しくさえかんじられました。
空は青く深く...、藪椿の花は可憐で真っ赤に強く...陽だまりに咲く『鶯宿梅』のピンクの花は、言葉に尽くせない きれいな暖かさ...。

今が、私の一番好きな季節...、確かなおとづれの気配が感じられる季節です。
やがてピンクの花が一面に匂いたち、蜜蜂の羽音が宇宙の波動のように深く心地よく、目白の群れが、ハコベの緑に陰を落としながら梅の枝を飛び交う...。
早く遅れた剪定を急がねば...、年等言っておれません。
左の写真は藪椿の花。真ん中は『犬ふぐり』の花と『のびる』。右は『鶯宿梅』の初花。

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1月19日 (木)   早春の雨に 梅剪定がおくれて怪我

 冷たい早春の長雨に、下の狭間田には芹が芽立ち始めましたが、梅の剪定がおくれてしまいました。 雨の止んだ短い間にも剪定のおくれに追いつこうと、気持ちが急いていたせいか、まさかの、怪我をしました。 梅の梢の方の剪定をしていた顔に、まともに落ちてきました。 しかし間一髪、目と鼻のテッペンを避け、小鼻の脇を真っ直ぐ縦に落ちました。
 2センチ左だったら左目に、1センチ右だったら鼻柱と脳天に・・、私は右目が、中心動脈の眼底出血で、すでに失明同然なので、一緒に作業をしていた孫は、瞬間頭が真っ白になったとのこと。 私は、頭が破裂したような激痛にしゃがみ込みましたが、みるみる抑えている手の感覚に腫れ上がってくるので、とっさに、タオルと木綿の手袋をはずし、少しの水溜りで濡らして来させ、冷やしながら、医者に連れて行かれました。 
孫か心配してか、黙り込んで運転したいるので、「疲れたー!、少し怪我して労災保険をもらって休みたいなー!」 と、冗談を言った後だったので、「いらんことを言ったせいで、天罰が来た!」、と痛いのを抑えて言ったら、「だからよ!。 いらんこと言うもんじゃないよ!。」と即座にかえってきた。 「天罰だったかも・・?」と、本当に考えていたのかも知れません。 
 冗談ではなく、本当に年の分だけ、すべて鈍くなっている分だけ、気を抜かないで作業しようと、心底、反省しました。  
 写真左、脚立で選定の社長。左2枚は狭間田の落葉の中の芹。

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1月18日 (水)   どんくり千年の 森つくり

『どんぐり千年の森づくり』は、初代故鳥集忠男会長が、「子供達にどんぐりの芽を見せたい」との言葉がきっかけとなり、『風土は人をつくる』という理念に基づいて、未来を生きる子孫に、豊かな風土を残そうとする、遠大なプロジェクトです。
 平成9年の春と秋、1号地2・7ヘクタールに、私達会員がどんぐりの実を拾い、初代事務局長佐土原裕一さんのご両親が、2年がかりで育てた苗を、1株500円で買って下さった株主さん達と、2千本植えました。 
 なぜ『どんぐりの森』なのか。 それは九州の自然植生が、照葉樹の森だからです。 樹幹を形成するカシ・シイ類を中心に植えると、中木、低木、下草などが自然に育ち、豊かな、もっとも安定した森へと、育っていくからです。
 昨年平成17年の9号地まで、全面積27ヘクタール、延べ5万4千300百本を植えました。 現在1号地では、どんぐりが7〜8mに育ち、その森の沢筋から、期待していた水か湧き出しました。
 「耳を澄ますと『チョロチョロ』」という水の音が、身体の隅々まで清めてくれます。
  植えるとき、みんなの額に光った汗が、一筋の流れを生み出したのです。」
という、事務局からの連絡に、感動、嬉しくて、いい年して涙がこぼれました。 初代会長の鳥集先生に、『チョロチョロ』という生まれたばかりの、かすかな、確かな水の流れる音を、お聞かせしたかった・・・。
嬉しくて 「沢蟹を放流しよう」と、早速、事務局に電話すると、「もう沢蟹がいっぱい居て、猪が食べに来て、掘り返しているよ」 とかえってきました。
 下の写真(左)は、1号地の植える前のハゲ山。 写真(真ん中)は現在の森の様子。 そして(左)の写真は、『チョロチョロ』 と、沢蟹を食べにきた猪に掘り返されながらも、流れ止まない沢筋の、小川?です。 
みんなの1株は確実に照葉樹の森を再生し、水を生み出すことを、実証しました。 
 今年も3月の植栽を目指し、1株500円の株主を募集しています。 どんぐりの苗は、今の事務局長徳永さんのご両親が、ポットの苗に水遣りなど、管理していて下さいます。

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1月17日 (火)   生きた土に助けられ 再生した鶯宿梅

 10年ほど前、梅園に『白モンパ病』が広がり、熊本の理学博士 中嶋常允先生のご指導で、モンパ病の処置をしました。 モンパ病で枯れかかった梅の根を掘り起こし、約90%の根を切り落とし、ダルマのような、ただの丸太同然になった太い幹を、四方からつっかいして、地上の幹に及んだ病原菌は、ノミで削り落とし、微生物と発根剤を塗布する処置をしました。 約半年後、台風の時、根周り1m以上の幹は横倒しに倒れてしまい、弔ってやる気持ちから、根周りの部分に、いっぱい土をかけておいたところ、ある日、地面から2m近い、逞しい徒長枝が伸びているので良く見ると、倒れた幹の下から伸びており、それが下の写真(左)の梅の木です。 梅の足元の倒木の先端から、梅の根が出ています。
 右の写真2枚は、同じモンパ処理の時、4分の1残った根によって、再生しておりましたが、その後の台風で、つっかい棒とも横倒しとなり、それでも又、再生して、現在も実をつけている鶯宿梅です。現在の樹齢は、43年。

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1月15日 (日)   有機栽培 体験農園

・・・土を活かし 水を養いましょう・・・
私達の住む都城市は、盆地の農村地帯で、水道はすり鉢型の地下水です。 土壌(土)が、農薬や家畜の屎尿などで汚染されると、地下水汚染は、時間の問題となります。
 平成元年、都城市の『ウエルネス都市宣言』と同時に、私は『土の部会』のメンバーとなって、自分の畑10aを、『有機栽培体験農場』として提供し、『野菜の栽培は 農薬なしでは出来ない』と思い込んでいる地区の人々と、農薬を使わない有機栽培で、野菜作りを始めました。 出来た野菜は、メンバーの人達が、それぞれ自由に収穫して、分け合って食べたのです。 その体験から『無農薬で、1家族に1坪菜園』の実践が広まっていきました。
 あれから16・7年、今では、有機栽培の重要性や、環境汚染の問題が常識となり、私の体験農場は、一応の役目を終えて、看板を立てまま、帰ってきました。
 道路を挟んで、この体験農場、通称『元気畑』では、小松菜が虫喰い一つなく、元気に自生しているのに、隣の有機栽培になって4年目の畑では、キャベツの葉が青虫に喰われ、レースのようにスケスケになってしまいましたが、虫が寒さにうたれて、キャベツは再生し玉を結びました。 生きた土に根が守られて、再生出来たのです。 そのうち、野菜自体が元気に『自己防御力』を発揮するようになるでしょう。 そこまで力のある土(畑)になるには、やはり8年はかかるようです。
 写真左は平成元年に立てた『元気畑』の看板。真中は虫食いから立ち治ったキャベツ。
右は元気畑の『自己防御力』を発揮して、元気いっぱいの小松菜

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1月6日 (金)   梅の花芽が 動き出しました

 昨日、こちらも又大雪でした。今日は肥料散布の予定で、雪が残っておりましたが、予定通り実行。 今日の肥料は、油粕とミネラル(微量要素)、残雪の畑はとても風が冷たく、皆が私の顔色を見るので、「寒い日は労働仕事をするのが一番。 すぐ暖まるからね。 経験者が言うのだから間違いなし!」 と、私が作業用の前掛けをつけ始めると、みんな、作業開始。
 1号地は、午前中に済ませる予定で始めたところ、雪がチラチラ舞ったり止んだり。 私も年を考えてゆっくりしようにも、寒いので一生懸命せざるを得ない日和。 フレーク状の油粕は、一部砕けて粉状になっているため、吹き返す風に舞飛び、帽子や全身に粉がかかる。もうみんな夢中で働き、予定よりも早く終わりました。
 今年は、11月になかなか気温が下がらず、梅の花芽は殆ど動きませんでした。 こんな年は初めてなので心配していたところ、雪日和の空を背景に、梅の硬い花芽が小さく飛び出していました。 ようやく早春にむけて動き出せたようですが、なにかしら痩せて、とがったような、蕾と言うには程遠い、花芽の段階でした。 
例年ですと、11月のうちに花芽がはっきりして、12月1月にかけてゆっくりと充実し、1月下旬頃から「三寒四温」のなかを、1輪2輪とほころび始めるのです。
 私達人間の、きりの無い豊かさ?への欲望は、地球温暖化や異常気象をまねき、このあと、若し急に気温が上がって春が早まると、蕾は充分に育たないまま開花を迎えるので、いわゆる「未熟児」のまま開花するので、結実しません。 梅の不作で自分達の経営が圧迫される事よりも、ものも言えない梅が可愛そうで、 「ごめんなさい」と、 つい口に出て、冷たい夕風に吹かれながら帰りました。

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1月2日 (月)   今年の事始は泣き初め? 悪友からの年賀状

500枚を越える年賀はがきの中に、もう30年来の親友兼、悪友?の『謹んで...云々』 と、ひと通りの印刷の後に、
『まだ、頑張っちょると? そろそろ楽隠居したらどうですか?』と添え書きしてありました。 
『貴方方は、「ふ(福)のよか(良い)生まれ」、私は「頑張る生まれ?」、これは宿命。昔、見送った特攻隊員の方々が幼く見える年になり、頑張っているほうが楽なのです。』と、何の気なしに書いて、ポロポロと何の抵抗もなく涙がこぼれ、思う存分泣きました。 
しかし、泣いたほどの悲涙でもなく、まるで子供のように泣いて、フーッ!と、大きなため息を一つついて、なにやらさっぱりしたような気持ちでした。 喜寿という年のお陰でしょうか。

人は、嬉しい時幸せなとき、本当に一番辛いことを思い出すもの...、もう、何回目でしょうか。 
生き残った私には、昔青春時代、見送った特攻隊の方々の命の重さが、命を支える食べ物を作るという使命感となり、生きる目的となり、頑張ることが好きになったんだと思います。
私の今年の事始は、泣き初め? でも、久々にしみじみと昔を懐かしみ、静かな、穏やかな正月2日でした。


1月1日 (日)   謹賀新年

あけましておめでとう御座います。
 昨年は、皆様方に支えられ、お蔭様で社員一同元気に新年を迎えることが出来ました。今年も「医食同源」を念頭におきながら頑張ってまいります。
本年も宜しくお願い申し上げます。
            有限会社 紅梅園
            徳重 文子




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